国家の支配構造と私権原理
338907 中世の社会と婚姻制度・相続制度
 
北村浩司 ( 壮年 滋賀 広報 ) 18/09/08 AM00 【印刷用へ
鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、戦乱が続いたその要因として、中央権力の衰弱とそれに伴う地方武家勢力と金融・商業勢力のせめぎ合いが挙げられるが、更に基底要因として婚姻制度(相続制度)の変化も見落とせない要素である。

○中世の婚姻制度と相続制度
鎌倉時代は貴族は婿取婚(母系氏族が婿を迎える)という制度であったが、武士は次第に嫁取婚へと移行していく。それは、戦闘軍団ゆえに男の武力が制覇力となったことによるが、とりわけ地方武士は土着性が強いが故に、土地を離れるわけに行かなかったという事情が実際上は大きい。父系制の成り立ちの時期は、それぞれの社会階層によって異なり、武家上層においては、院政期から鎌倉時代において、そして一般武家は鎌倉時代から南北朝時代、さらに庶民層においては、南北朝時代から戦国時代である。
但し、庶民は江戸時代に至るまでも夜這い婚を併用している
因みに、公家層が嫁取りに移行するのは、武士の力が強まり、公武の結婚が行われるようになって以降である。
また鎌倉時代は「分割相続」を原則としており、新しく建てられた分家は本家の惣領(家督)のもとで血縁集団を形成した。惣領は戦時には一門を率いて闘い、軍役と恩賞を一門の各家に割り当てた。この惣領制を土台に幕府は御家人たちを束ねていたのである。
しかし父系制とはいえ、当時は夫と妻とは別々の姓(氏の名)を名乗り、それぞれが父母から相続した氏の財産を継承するという、夫婦別財産制度をとっており、妻も自前の財産を有していた。(女子が惣領となるケースもあった)

この惣領制が揺らぐのは、元寇(鎌倉中期)以降である。それまでは、承久の乱や元寇を通じて、荘園領や非御家人領に支配が及び、分家の所領も確保できていたが、安定期に入ると所領の増加がなくなり、所領は相続の度減少し、御家人たちの収入は激減する。
その結果、戦闘集団として一体化していた本家と分家の結びつきは弱まり、次第に一門同士の血縁的統合から、生産基盤を共にする地縁的結合が高まっていく。このことが地域の独立性を高め惣村の自立性を強める大きな要因となっていく。と同時に惣領性を土台とした鎌倉幕府の滅亡の要因ともなる。
所領の減少に伴い、まず女に与えられる相続分が削られ、土地が与えられる場合でも、それまでの永代から一代限りとなり、死後は惣領に返却することも一般化する。
そして一門の共倒れを防ぐため、ついには惣領が家督の地位とともに全所領を相続する「単独相続」が行われるようになる。この単独相続は、惣領を受け継ぐにふさわしい人物として実力主義で選ばれたため、その後一門内部の跡目争いが激増していく。
この一門の分立と抗争が、南北朝の背景でもあった。対立する諸家がそれぞれ官職や所領をめぐって争い、それぞれが自己に有利な権威を担いで闘争する。これが南北朝の争乱であったのだ。そしてこの一門の対立は、「血縁から地縁」への流れを加速させ、地域自治の流れを加速させた。
 
○中世の女たち
父系制になったとはいえ、日本の中世では女にも財産権が認められていた。武家の法である鎌倉幕府の貞永式目では、所領の女子への相続も認められており、地頭として所領を管理した女性たちも数多くいた。庶民の階層においても、名主職などの耕作権を、女性がその父母から相続していた例は多いし、「家」が確立してきた中世後期においても、名主職を継承する女性の例は多い。
中世の「家」においては、夫と妻の役割は夫は「家」の対外的な活動を分担し、妻は家政を分担するという形であったが、妻の地位は、大きなものがあった。中世の「家」における「家長」は、夫と妻という2本柱によって成り立っていたのである(当時妻は公的にも3人まで認められておりその長でもある)。このため中世において政治権力を担った公家や武家の家において、女が大きな権限を行使した例が多い。
著名な所では、鎌倉幕府将軍御台所として御家人に対する処分権すら振るい、夫頼朝の死後は「尼将軍」として2代将軍・3代将軍の後見人として活動した北条政子、後鳥羽上皇の愛妾として朝政にも大きな発言権をもった伊賀局、さらには室町幕府将軍御台所としてさらには次期将軍義尚の母として幕政を動かした日野富子。これらの女たちが政治の場面で大きな発言権を有したのは、彼女たちの「家」が、公家・武家において最高の政治権力を保持する「家」であり、彼女たちがそれぞれの「家」において夫とともに並び立つ「家長」であったが故である。

もう一点、中世において女がめざましい活動を示していたのが、商業や芸能という分野であった。 16世紀初頭に成立した「71番職人歌合」には142人の職人や商人が登場するが、そのうち34人が女である。とりわけ商人は21人でどれも食品や衣服にかかわる商人であることが注目される。つまり、女の家における仕事がそのまま社会的な仕事になっている。他には芸能民が9人、女盲・立君・図子君・白拍子・曲舞々・持者・巫・比丘尼・尼衆、つまり遊女や芸人そして神下ろしをする人々である。どれも古代においては神に仕えるものであり、女が神に仕える者であったことに由来するのであろう。
物作りと商人の関係でいえば、実際の形としては、商品の製造は夫で販売は妻という形が多く見られ、中世における夫と妻の分業の成立と同じ形をとっていることが注目される。おそらくこれは、女の活動が惣村という生産体を母胎としていたことによるものであろうが、それに加えて、商人と女との関係は、市が現世と他界とをつなぐ場、つまり神が現れる場において開かれたことに見られるように、ものの商いが聖なる行為として始まったことに由来するといわれる。女こそ、神を現世に下ろすもの(=巫・かんなぎ)であり、それ自身が神聖性を帯びた存在と観念されていたことによるのであろう。また、先にみた女の仕事としての芸能も、元々は神に仕えるものに由来していたものである。
地域市場の相当部分は、女たちによって担われていたのだ。
 
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縄文体質の史的足跡〜第7回 婚姻様式は本来、安定した集団を支える社会基盤。 「縄文と古代文明を探求しよう!」 18/11/28 AM02

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