国家の支配構造と私権原理
335159 長州藩は忍者・諜報機関〜吉田松陰の背後に忍者集団
 
匿名希望 18/04/27 AM00 【印刷用へ
長州藩は忍者・諜報機関
リンク より

長州藩が幕末から強固な支配体制を維持している理由は【忍者・諜報】機関が背後にいたと考えられます。そういうシステムが毛利藩に継承されていきました。

というのは、長州をつくった毛利元就は最初は小さな勢力でした。
ところが、中国地方10ヵ国を支配するような大大名に伸し上がったのです。それはもっぱら諜報と謀略活動で大きくなったのです。
そのような性質を持った毛利藩が関が原の戦で負けて小藩になります。
しかし謀略機関は維持されて、【忍者集団】になります。
そのトップが【上忍】で、【中忍】【下忍】などのシステムができあがります。

吉田松蔭は1829年、長州萩松本村に藩士、杉百合之助の次男として生まれました。
松蔭は五歳にして藩学師範家・吉田家の仮養子となり翌年、叔父吉田大二郎賢良の跡を継ぐと、十歳より、藩校明倫館に出勤して家学の兵学を教授、彼は幼くして天才でした。
1841年、叔父玉木文之進の松下村塾に入り塾生を教育する傍ら、自らも山田亦介から長沼流兵法を学び、進んで西洋の兵学まで修めました。

1850年、九州に遊学して、翌年、山鹿流兵法の皆伝を受け、藩主にしたがって江戸に留学し佐久間象山に師事しました。同年12月には水戸藩を訪れ、藤田東湖を訪ねましたが会えず会沢正志斉らと気脈を通じて、南朝正系を説く【大日本史】を学びました。松蔭は、この頃すでに長州藩ウラ毛利の【上忍】益田元宣に引き立てられて【中忍・・・佐官級情報員】となり元宣の子・親旋とも親交を深めていました。そして相共に尊皇攘夷をスローガンにし倒幕・南朝革命を目指す同志となっていたので、1854年3月、上忍・元宣の命を受けると最新の世界情勢を調べ、さらに情報収集をする目的で浦賀に於いて米艦に乗り込もうとしましたが失敗して下獄。同年10月は帰国して野山獄に入り、翌年12月、実家杉家で謹慎生活。

こうして幽囚の身となった松蔭が【松下村塾】に顔を出し始めたのが1856年9月から、つづいて熱心な講義を始めたのが同年11月からであり、それを知って塾生も急激に増加し、優秀な人材が揃うようになりました。このことによって、いよいよ松蔭自らが指導する革命の実践活動に入る決意を固めたのは、翌年正月のことでした。1858年正月九日維新革命の実践活動に立ち上がることを誓い合い、門下生をはじめ藩政府当局などに宣言しました。萩藩当役は益田弾正親旋で撫育方(表向きは産業振興役実は秘密の倒幕用軍資金を守る忍者集団)の長官を兼ねていました。

即ち、親旋は長州藩独特の制度・ウラ毛利の上忍(情報局長官)であり、その父、元宣の時から密かに援助していた松蔭を中忍として動かしていたのです。従って、松蔭の動向は単なる個人的なものではなく相当な忍者集団を動かしうる組織的なものでした。

松蔭は、水戸学の南朝正系論を理念とし、後醍醐天皇の血統、大室寅之祐を擁護していました。また部落・賎民など被差別民解放。松下村塾出身の志士たちに指導された長州奇兵隊の中核を成していたのは、部落解放の夢に燃える賎民出身の若者でした。
奇兵隊のなかでも、特に注目すべきは力士隊、伊藤博文は、この力士隊の隊長でした。

この時代の力士隊というのは弾体制(同和)に従属していて部落と密接して関係しているかあるいは部落そのものでした。さらに力士隊のあった第二奇兵隊の屯所は、麻郷(おごう)近くの石城山にあり、ここ田布施町は、大室天皇家のあった場所で、明治天皇となる
大室寅之祐が明治維新の前年まで過ごした地でした。
因みに岸信介・安部晋太郎・晋三氏が出自もこの辺りです。伊藤博文などもこの辺です。
興味深いことに、古くから石城山は【聖なる山】として崇められ、石城山を基点として【太陽の道】レイラインに神社が置かれています。

レイラインとは、古代遺跡などを地図上で結んでいくと見えてくる一定の法則でつながっているネットワークのことです。ライン上には何らかの強いエネルギーが流れているとの説もあります。

(中略)

日本のレイラインで最も知られたものの一つとして小川光三氏が発見した【太陽の道】があります。
大和の地に存在する寺社や古墳や山の山頂が、北緯34度32分の東西の一直線上に並んでいるというものです。太陽や星の運行とも密接な関係があるとされ太陽の道に付随して、神社や古墳が形作る巨大な三角形などが発見されており、それらは春分や夏至などの特定の暦日に太陽が昇ったり沈んだりする地上の地点を示すために利用されたといいます。

真弓常忠氏は【古代の鉄と神々】のなかで、このラインが採鉱・鉄冶業を生業とする集団によって日神祭祀の祭場とされた・・・・・と云っています。

田布施町の国森古墳からも、副葬品に鉄矛、鉄斧、鉄削刀子等が出土し、古くから鍛冶屋衆がいたと推論されています。
この周辺の地から何人も首相が出ているのは偶然でしょうか。

(引用終わり)
 
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