日本人の起源(縄文・弥生・大和)
334525 四隅突出型墳丘墓は最初に日本を支配した高句麗勢力(後半)
 
田野健 HP ( 57 兵庫 設計業 ) 18/04/01 AM00 【印刷用へ
後半は四隅突出型墳丘墓の高句麗由来の説と、この時代の高句麗の状況を紹介したい。朝鮮半島では最強の高句麗だが、唯一3世紀に中国からの侵略を受けて後退している。出雲へ入り込んだのはこの時期と合致する。
日本を支配しようとしたのか、高句麗内の分裂で拠点を失った国内勢力の一派が海を渡った可能性がある。高句麗とは元々部族連合で中央集権的な国家の体は成していない。故にその部族の拠点が奪われれば、居場所を求めて部族ごと出雲に来る可能性は十分にある。

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■四隅突出型墳丘墓が高句麗由来とされている説〜
島根県や鳥取県西部(かっての出雲)では、四角形の方墳の発見が相次いでいて、ヤマトにまだ古墳がない時代、出雲地方にはすでに四角い墳墓が存在していた事がハッキリしてきたのであ る。四角い墳墓(方墳)は高句麗の特徴であり、対照的に新羅は円墳である中でも四隅突出型墳丘墓は高句麗独自なのである
出雲の古墳は、最近の調査によると、方墳は約250基、方墳が2つくっついた形状の前方後方墳は約30基程度も存在する。
(前方後方墳の数)
島根33、鳥取 3、兵庫 7、京都 8、福井 3、石川26、富山 2
前方後方墳も、島根(出雲)が最も多いが、次いで石川(能登、加賀)が多い
方墳、特に四隅突出型墳丘墓を高句麗支配の象徴と見れば、日本海側を中心に中国地方、石川を中心とした北陸などは、高句麗の支配下にあった可能性が高い
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■出雲に四隅突出型墳丘墓ができた時期の高句麗の状況
>2世紀末、後漢の力が落ちて三国時代、五胡十六国の混乱期に入り、東北地方は、公孫氏が力を持った。公孫氏は北朝鮮の平壌から韓国のソウル付近に存在していた楽浪郡を支配し、帯方郡を独立させて、百済の成立(3世紀頃)に大きな影響を与えた。一方高句麗では、3世紀初めに王権の後継者争いが起きた。兄が公孫氏を頼る一方、山上王(197-227)は都を鴨緑江沿岸の集安に移す。公孫氏は高句麗の本拠地である丸都山城を攻撃し、高句麗に服属していた夫余族などを服属させたため、一時的に高句麗は衰退した。

238年に公孫氏が北魏に倒されることで、高句麗と北魏が、直接国境を接するようになった。北魏も高句麗を攻撃したので高句麗は一層衰弱したが、4世紀初めには中国の戦乱に乗じて復興し、楽浪郡、帯方郡を攻撃するまでになった(313)。戦乱に堪えきれなかった住民は遼東半島に勢力のあった鮮卑の慕容氏の元に逃げた。一方で帯方郡などに依然として定住する漢族も多くいて、彼らは中国東晋の年号を用い続けた。東晋年号の書かれた七支刀は百済王から日本に送られている。
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334851 三国史記も日本書紀と同様、嘘で固めた捏造書 田野健 18/04/15 AM00

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