国家の支配構造と私権原理
334139 八咫烏と田布施町1
 
彗星 18/03/17 AM01 【印刷用へ
皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集のサイトより、『熊毛郡・田布施町(たぶせちょう)(リンク)』より転載します。
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七卿落ち(八月十八日の政変)でやむなく都を追われた公家・三条(実美・さねとみ)卿ら七卿は、久坂玄瑞(くさかげんずい)の案内で長州に下向したのだが、真っ直ぐ萩(はぎ/長州藩藩都)には向わなかった。

向かったのは、長州藩二ヶ国の内、周防国・熊毛郡田布施の高松八幡宮だった。

七卿筆頭の三条実美(さんじょうさねとみ)ら七卿は、逃れた長州の地・田布施で松陰派(吉田松陰門下生)に「ある人物」と引き合わされて、そのまま滞在している。

伝えられる所に拠ると、落ち延びた一行を田布施で待ち受けてその「ある人物」を七卿に引き合わせたそれが、吉田松陰(よしだしょういん)門下の伊藤博文(いとうひろぶみ)と井上聞多(いのうえたもん・井上馨/いのうえかおる)だった。

山口県(周防)南東部瀬戸内海沿いに田布施町はある。

田布施町は現在でも人口17000人ほどの小さな町だが、実は此処から日本の近代化は密かに始まった。

つまりこの田布施町の高松八幡宮が、七卿が逗留し松陰派の長州若手指導者達と皇政復古の産声を上げた所である。

そしてこの高松八幡宮の僅か北東に浄土宗の西円寺と言う寺があり、その傍(かたわ)らに南朝・後醍醐天皇の末裔を名乗るこの大室家はあった。

七卿が逗留した高松八幡宮と、良光(ながみつ)親王の末裔を名乗る「大室・某」の住まいが至近距離にあった事実に、偶然はありえない。

七卿落ちの公家達が長州の地で滞在した高松八幡宮は、田布施町大字麻郷に在る。

そして三井賀茂神社(みいかもじんじゃ)は、田布施町に隣接する光市の三井(みい)に在る。

八咫烏(ヤタガラス)は太陽の表面に現れる神であるから、神武東遷記における「八咫烏神話(賀茂・葛城)」に、神武大王(じんむおおきみ)の先導役として登場する八咫烏(ヤタガラス・賀茂・葛城)の伝承が、この三井(みい)賀茂神社にも存在する。

その事から、賀茂・葛城が太陽(神武大王)の東遷随行者として「大和朝廷成立に貢献した有力一族」と考えられる。

熊毛郡田布施町大字宿井に、天然記念物の「宿井はぜの木」の大木がある。

この「宿井(宿居)」の字名の意味する所は、皇子の仮の居場所(仮御所)の事ではないだろうか?

明治政府が廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を行なって、根強く信仰されていた全国の妙見系の神社を抹殺した事は、単に神仏習合策を改め、天皇神格化を狙ったものだろうか?

長州が妙見信仰の聖地であり、同時に、皇統の或る疑惑の地でもある事から、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)に絡め、何らかの証拠隠滅を図った疑いも浮上して来るのである。

明治天皇(第百二十二代天皇)は、孝明天皇の第二皇子である。

父・孝明天皇から親王宣下を受け立太子を宣明し、幕末の動乱期に皇太子・睦仁親王を名乗り、後に若くして皇位について居る。

所がこの明治帝(睦仁親王)については、明治維新の前後では「全くの別人だった」と言う証言が存在する。

この親王入れ替わりの疑惑に、現在の当局としては「相手にするに値しない」と言う判断なのか、徹底的に無視した状態で、否定も勿論肯定もしていない。

現在の位置付けでは、この疑惑は単に巷の噂に過ぎないが、睦仁親王(京都明治天皇)には無かった「あばた」が、明治天皇には「あばた」が有り、右利きだった睦仁親王(京都明治天皇)に対し、「即位した明治天皇(東京明治天皇)は左利きである」とその違いが指摘されている。

こうした話は、事実ではないかも知れないが、その噂話が存在する事は事実である。

また、このとんでもない噂が本当なら、七卿筆頭の三条実美(さんじょうさねとみ)と長州藩の描いた陰謀に、同じく過激派公家の岩倉具視(いわくらともみ)が参画、朝廷での「迎え入れ工作を担当した」ものと思える。

後に明治の元勲と言われる維新の立役者は、大方この事実を知っていた事になる。

そして、彼らにはそれが正義だった。

吉田松蔭に大室家の存在を教えたのは、田布施町出身の総理経験者・佐藤栄作氏の曾父・佐藤信寛(さとうのぶひろ)氏との接点が有望である。

岸、佐藤、両首相経験者の曾父・佐藤 信寛(さとう のぶひろ )は、山口県熊毛郡田布施町に長州藩士・佐藤源右衛門の嫡男として生まれている。

佐藤信寛(さとうのぶひろ )氏は、藩校・明倫館にて山県太華に学び、江戸に出て清水赤城に長沼流兵学を修め、吉田松陰に兵要禄を授けていて、学問的には松蔭の恩師筋にあたる。

信寛(のぶひろ )氏は、維新時の長州藩士であり、維新後は知事、県令の官職にも就いていた。

こうした権力の裏側を勘繰れば、維新政府の有力者に南朝・大室家の地元有力者が抜擢され、後に「何名もの首相や首相候補を輩出したのではないか」と、疑えるのである。

つまり南朝・大室家は、多くの野望をも集めて中央に担ぎ出され、「それに上手く乗って栄えた家が在った」と言う事に成るのだ。

勿論、むしろ「南朝の方が正統だ」と言う思いが強い我輩としては、北朝天皇から南朝天皇へ入れ替わったとしても正統な皇統であるから、今の皇統が偽者だと言う気は更々に無い。

この陰謀、吉田松蔭が画策して松陰刑死後は義弟の久坂玄瑞(くさかげんずい)が引継ぎ、玄瑞の討ち死に以後は伊藤博文と井上馨等が引き継いで事を進めた。

これは表ざたには出来ない世紀の大陰謀で、徳川家の新政府入りを画策した坂本竜馬は、この入れ替わりの秘密を守る為に倒幕派に暗殺された可能性を棄て切れない。

また、龍馬と一緒に襲撃された中岡慎太郎(なかおかしんたろう)は、一時田布施で三条実美(さんじょうさねとみ)一行の衛士を勤めていた。

同じく松平春嶽は、その事を知るが故に維新の功労者で有りながら維新後の表舞台から退いているのかも知れない。
---------------------------------2に続く
 
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