試験・身分制度の根深い害
329404 現実の問題からかけ離れた試験制度(1)
 
村田頼哉 ( 45 高知 企画 ) 17/09/07 PM09 【印刷用へ
試験制度は絶対的な根拠を大前提としているが、ところが、現実の社会では絶対的なものは殆ど存在していない。
「試験制度(リンク)」より引用します。

■□■引用開始■□■
学校社会は、試験によって支えられている世界である。
極端な話、試験が全てである。試験勉強に始まり、試験で終わる。そう言う学生生活を大半の人は送らされる。ならば、教育を考える場合、良きにつけ、悪しきにつけ、試験制度とは、何かを、問わざるをえない。

試験制度では、設問も、答えも、予め用意されている。つまり、問題も、正解も、所与のものである。
出題、設問の元になる根拠は、絶対的なものである事が大前提である。なぜならば、問題の根拠があやふやでは、試験制度そのものが成り立たないからである。

そして、導き出される正解も、絶対の真理でなければならない。過ちは、許されないのである。
学校教育を受けた多くの人は、この世の全ての事柄は、科学的に解明されていると錯覚しているものが多い。
それは、学校で、教科書に書かれている事は、動かしがたい、絶対的な真理であるかのような教え方を、されたことが、原因である。

そして、それを教えている先生は、神の如き存在に見えるのである。教科書に書かれている事が、絶対的に間違いのない正しい真理ならば、主観の入り込む余地がない。
そこから、客観性という考え方が、正当性を持つのである。そして、客観的に見て正しいことであるならば、試験問題としての妥当性が保障される。
試験問題は、この客観性に依拠して成立している。

ところが、肝心の科学は、この世には、絶対的なものはなく。科学の根本は、仮説であり、理論は、相対的な体系としている。
つまり、最終的には、主観的なものだと言う事を前提としている。絶対的な真理の書は、批判を許さない書は、教科書ではなく。聖典である。それは、科学的合理主義や、実証主義とは相容れない物である。宗教的な部類にはいる。即ち、教科書を絶対視し、批判を許さないとしたら、学校は、新興宗教の一種だと言う事になる。

つまり、試験の根本の前提と、科学の根本の前提は、二律背反な関係にあるのである。ここから、試験制度、ひいては、学校制度の自己矛盾が始まる。つまり、自分達が、絶対的でないとする命題を、絶対的な命題とする事によって、試験制度は成り立っているのである。

もし、根拠とする事実や前提に過ちがあったら、それ以前の試験の結果は、全て、偽、誤りだという事になる。果たして、それは真実であろうか。根底となっている科学が絶対的な命題は、あり得ないとしている以上、最初から、試験制度は、破綻しているのである。巨大な機構を持つ試験制度は、この様な、危うい土台の上に成り立っている、いわば、砂上の楼閣なのである。

大前提に矛盾がある以上、教育者は、自らを神にするしかなくなる。さもなければ、試験制度に依拠している学校制度そのものが、崩壊してしまうからである。そして、教科書は、現代の聖典となった。教科書に書かれていること以外は、異端として、排斥されているのである。結局、試験制度に支えられた社会というのは、一種の新興宗教だと思えば間違いない。

歴史の教科書に書かれたことが、それが、実際にあった事かどうかと言う事と関わりなく、絶対的な真実となる。歴史的な事実など、どうでも良いのである。
だから、歴史的事実より、教科書に記載されていることの方が問題になる。そして、教師は、それが真実であるかどうかを、証明する義務はない。ただ、書かれたことだけを、丸暗記させればいいのである。間違った事を教えても、教師には、責任はない。教科書が悪いのか、教科書を書いた人間が、悪いのである。教育者は、学者ではない。多くの人間には、この点を錯覚している。学問の探究者としての専門化ではない。

つまり、歴史の先生は、歴史を知らなくても良いのである。ただ、教科書に書かれていることを理解していればいい。そのうえで、試験勉強のプロであればいいのである。つまり、試験に合格するための技術を教えられればいいのである。

学問を教えているわけではない。学者は、自分が称えている学説の正当性を立証する義務がある。教育者ならば、自分が教えている事の正しさを立証する責任がある。この責任が、現行の教育には、欠如している。故に、学校の先生は、学問を教えているのではない。教科書に書かれている事を、それが、真実であるか、否かに関わりなく、ただ、教えているのである。
 
  List
  この記事は 329135 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_329404
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
331265 大学の広告に発信型の意見広告〜「神戸女学院」 田野健 17/11/19 AM10
329405 現実の問題からかけ離れた試験制度(2) 村田頼哉 17/09/07 PM10

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、43年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp