日本人と縄文体質
328662 漆と縄文文化B
 
志水満 ( 61 大阪 会社員 ) 17/08/09 AM00 【印刷用へ
大和心を語るねずさんのひとりごと より続き以下引用です
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中略

さらに続けます。
おもしろいことに、河姆渡(かぼと)遺跡をはじめとする、支那の揚子江一帯にある水稲栽培や漆の遺跡ですが、ここでも、初期の頃の遺跡群からは、対人用の武器が発見されていない。
さらに住居は、農作物を守るための高床式住居であり、このあたりも7000年前頃の日本の縄文遺跡群と酷似しています。
つまり、日本の縄文文化が、揚子江流域にまで伝播したと思わせる痕跡が多数あるのです。

ところが、それから千年ほど経った、いまから6000年ほど前のことです。
黄河の流域に、黄河文明が誕生します。
こちらは竪穴式住居です。
そして大型の動物を狩る武器(もちろんそれは対人用にも使えます)が多数出土しています。

おもしろいのは、この黄河文明の遺跡から出土する人骨で、鑑定の結果、どうやら黄河流域に住み着いた黄河文明人たちは、モンゴロイドではない。
では何かというと、これがコーカソイドです。
つまりヨーロッパ系の白人種です。

彼らは、狩猟採取民族です。
大型の武器を操り、集団で大型動物を狩る。もちろんその武器を使って他の村を襲い、食料や女を奪います。
そしてある日、彼らは、長江流域に住むモンゴロイド達と出会う。
中略

長江文明を滅ぼしたコーカソイドの黄河人たちは、長い年月の間に、強姦によってモンゴロイドと血が混じります。そして人口の違いによって、外観はモンゴロイドに酷似するようになった。
それでも西暦210年から220年頃の三国志の時代には、まだまだコーカソイドの人種的特徴を持った人達がたくさんいて、ある者は、体が大きく、長い髭をたくわえ、またある者は、相撲取りのようなアンコ型の体型に、もじゃもじゃ髭という、モンゴロイドとはかなり人種的特徴の異なった支那人となった。
そうです。前者が関羽、後者が張飛です。

長い年月、武器を持った黄河人たちに奪われ、殺された長江人たちは、ただ殺されるままになっていたとは思えません。
中には、進んで武器を研究し、果敢に戦った人達もいたであろうというのは、容易に想像できることです。
けれどその人達は、妻や娘をなぶり殺された悲惨な歴史を持った人達でもあります。
当然、復讐のための戦いとなる。
戦いは陰惨をきわめたものとなり、互いに残酷な殺し合いが長く続いたことでしょう。

そして戦いはいつしか大きな集団戦となり、武器も大型化し、新たな武器が次々と開発され、支那は春秋戦国の時代を迎えることになります。

そしてこの春秋時代とほぼ時を同じくしてはじまったのが、日本の弥生時代です。

武器を持って奪う人達が、海を渡って日本にやってきたらどうなるか。
はじめは、縄文人たちも、殺され、奪われるままとなっていたことでしょう。
けれど彼らは、立ち上がります。
そして武器を開発し、その武器の使用方法や、用兵術を積極的に学び、工夫して、ついには彼らを撃退するようになる。
弥生時代といえば、弥生式土器が有名だけれど、縄文式と弥生式の最大の違いは、弥生式土器の方が、きわめて作りがシンプルであるということです。

教科書では、弥生時代は稲作が伝来した時期と教えているけれど、世界中どこの国でも、また現代でも大昔でも、稲作が渡来して生活が豊かになったのなら、生活用品である食器類は、贅沢なものになるのが普通です。
それが逆にシンプルになった。
ということは、縄文時代から弥生時代にかけての変化は、稲作文化が渡来して豊かになったのではなくて、せっかく日本が支那に水稲栽培を教えてあげたのに、かの国からは逆に武器を持って人が人を殺しあう文化が渡来してきたのではないか。

実際、弥生時代の遺跡から発掘される埴輪などをみると、突然、刀や槍を持って武装した人達の姿が描かれている。
しかも人々の服装はシンプルになり、食器(土器)も、それまでの豊かな装飾性がまるでなかったかのごとく、きわめてシンプルで実用的な土器に変化しています。

戦が起これば、逃げなければならないのです。
であれば、当然、服装は実用的な筒袖にズボン型になるし、食器もとりあえず使えればいいとなってシンプルなものになる。
誰がどうみても、そう考えるのが普通です。

日本では、ときたまやってくる乱暴な渡来人たちに対抗するため、弥生時代にはいって武器を持つ文化がはじまった。
それまで1万5000年もの永きにわたって続いた、武器よりも道具を、戦いよりも和を、奪うことよりも助け合い支えあってきた縄文文化が、変化したのです。

考えてみると、日本人のあたりまえのように思っている気質、つまり助け合うこと、支えあうこと、働くことに喜びを見いだすこと、和を大切にすることといった伝統的気質は、1万5000年も続いた縄文期に熟成されたものと見ることができようかと思います。

もうひとつ申し上げると、今回の漆の木片は1万2600年前のものだったけれど、日本で見つかっている最古の土器は、いまから1万6500年前のものです。
青森県の大平山元1遺跡で見つかった。
青森県のホームページを見ると、なぜかこの土器、「青森県最古の土器」と紹介されているけれど、とんでもないです。
1万6500年前のものということは、まぎれもなく「世界最古」の土器です。

1万年前といえば、ヨーロッパではまだ旧石器時代です。
毛皮を来て、石斧を持って、ひげもじゃらの原始人たちが、ウッホウッホとやっていた。

それよりも6500年も前に、日本では非常に高度に発達した文化が熟成されていた。
その時代に、日本では、土器を作り、集落を営み、武器を持たずに人が人を助け合う文化を熟成させていたのです。これはすごいことです。
また、誤った教科書などの影響で、多くの日本人が、縄文時代の日本人は、鹿の毛皮をまとった半裸の姿で、石斧を持ってウッホウッホとやっていたかのように印象づけられています。

けれど、今回漆の木片の出土した鳥浜貝塚からは、布製の衣類も出土している。
なんと、その装飾(模様)や仕立ては、当時の着物を来て原宿の街を歩いても、なんら違和感のないほど、精巧で、美しい衣類です。

※参考「世界に誇る縄文文化」
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