試験・身分制度の根深い害
327177 日本の教育制度と官僚組織の腐敗
 
加藤俊治 ( 63 大阪 ) 17/06/09 AM00 【印刷用へ
「学歴信仰」と「官僚腐敗」の源が同じ!

しかし、恐るるに足らず!!  「教育改革」が進めば、共に崩壊するのだから!!!


リンク より(抜粋)

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●「日本の官僚制度は中国の"科挙"がモデル」
日本の官僚制度は明治初頭に、中国の「科挙」をモデルとして作られた。

「科挙の制度」とは、高級官僚をペーパーテストで募集する仕組み。奈良時代に一度導入を試みたが、日本には合わなかったらしく、平安時代に廃止された。

しかし明治時代になって突如として復活。導入の目的は、廃藩置県によって失業した大勢の武士を、教育によって「官僚」という名の特権階級に仕立て変えるということだった。

しかし明治の終わりから大正の初めのころにはもう、いわゆる「受験」を巡る弊害が、大問題として扱われるようになってしまっていた。

何が大問題だったのか?
それは「受験」をパスして大学へと進学した者たちの中に、分数の計算や、簡単な世界地図も満足に描けないような生徒たちが続出するようになったから。

●「科挙の弊害」
中国の科挙は、西暦600年ころの隋代に生まれ、それから唐、五代を経て、宋の代960年ころに入って完成をみた。しかしその後、手の施しようもないまでに腐敗し、遂に廃止されたのが1905年。その間、実に1300年もかかった。
宋の太宗皇帝は、見事なまでに理想的な科挙の制度を作り上げたのだが、それが可能だったのは、科挙の制度に猛反発してきた唐の貴族たちが、五代の乱で死に絶えていてしまったからだった。

科挙の求めるところとは、身分に関係なく誰にでも「公平」に官僚への道が拓かれ、かつペーパーテストによって「公正」に評価・登用される社会の仕組みで、つまり「貴族制打破」のためのシステムでもあった。
そのため貴族制度と相容れないのは当然のことで、長い唐王朝時代を通じて、科挙と貴族制度は壮絶なる戦いを繰り広げることとなった。

だが、貴族が一掃されてしまった後の宋の時代に平民しかおらず、逆に、このときは科挙によってしか官僚の補充ができないという状況だった。宋の皇帝は科挙の目的を、丞相(総理大臣)に相応しい人物を募集し養成することと定めた。それゆえ、一度科挙に合格して役人となれば、家柄や出自にかかわらず、名誉も最高、収入も最高、権力も最高だった。

また、栄誉に浴するのは本人、家族だけではなく、一族をはじめ、地元にとっても大変な名誉であり、才能と志のある者は周囲からの応援や期待を背に、壮絶な受験地獄へと身を投じていった。

だが受験者数の増大が熾烈な受験競争を生むこととなり、受験のための勉強が、生まれたときから特権階級目指してまっしぐら、脇目も振らず磨きをかけ、競争を勝ち抜くことだけに長けた輩が高級官僚に就くようになってしまうのだった。中国における科挙の歴史は正に明治以降の日本の教育問題、官僚の歴史そのもの。

明治時代、ごき一部の高等教育機関のみにみられた「受験」競争は、今や小学校や幼稚園にまで浸透し、高度経済成長期を経て小金持ちが増え、受験勉強だけしてきた輩が官僚および特権サラリーマンになる時代になってしまった点も、科挙を巡る明代以降の中国の様相にピッタリだ。

日本の受験競争は、単なる学力競争ではない。僅か100年足らずで見事な「階級制度」を作り上げてしまった。

●「学歴による階級社会の誕生」
この「学歴による階級」。明治政府が華族制度を以ってしても形成し得なかった階級意識を、「科挙」を模した日本の教育制度は実にあっさりと日本人の意識に刻み込んだ。

現在日本は、かつて中国が刻んだ奈落への歴史を、猛スピードで追いかけている。かつて石原慎太郎氏は「日本の官僚は宦官のようになってしまった」と語ったが、それは間違いである。正しくは、宦官よりも遥かに劣る、というべきである。決められたレールの上だけを走るように飼い慣らされた人間は、現実適応力を失ってしまう。
危機に対処できない。そんな官僚が日本の舵取りをしているのだ。

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>それは「受験」をパスして大学へと進学した者たちの中に、分数の計算や、簡単な世界地図も満足に描けないような生徒たちが続出するようになったから。

このような事態に陥ったにも拘わらず何故、「受験」は継続されてしまったのか?

考えるに、当時の富国強兵政策→上官の命令に対して忠実に従う兵士の育成が絶対命題になっていたからか?
 
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