試験・身分制度の根深い害
326956 悪い教育内容のために人生を狂わされる人もいる  1/2
 
加藤俊治 ( 63 大阪 ) 17/05/31 PM07 【印刷用へ
リンク より

●成績が悪いと言われ続ければ、悲しい人生の原因になる
現在の学校では、何種類かの学問を何年もかけて教える。単に教えるだけでなく、試験などを実施して点数を調べ、その結果から生徒全員に成績を付ける。試験の点数が高いと良い成績となり、点数が低ければ悪い成績と言われる。

小学校から大学までで教えている内容は、難しさの違いはあるものの、基本的には同じ分野である。この種の勉強が得意なら高い成績を取り続け、不得意だと低い成績が続く。成績によって、優秀な生徒と優秀でない生徒に分けられ、同じぐらいの位置に居続ける人が多い。

成績が低いと、教師と親の両方から勉強しろと言われる。また、頭が悪いと言われる機会も多い。学校の勉強ができると小さい頃から誉められ続けるので、生徒どうしでも、成績の善し悪しで人を評価するようになる。

このような環境に何年もいたら、学校で教えている学問が得意でない生徒は、成績という評価を通して、劣等感をどうしても持ってしまう。教師や親だけでなく同じクラスの生徒まで含め、周囲のほぼ全員が、成績が低いことを“悪く”言うからだ。

悪い評価を受け続ければ、面白くないと感じて当然である。勉強する気にもならないし、学校へも行きたくない。非行に走る生徒が現れるのも当然だ。そのうちの何人かは、重大な犯罪を犯す人も出る。人を傷つけるだけでなく、最悪では殺すこともあるだろう。

非行に走らない生徒でも、心に大きな傷が残る。自分はダメな人間だと感じ、勉強以外のこともやる気を失いやすい。生きていくこと自体を前向きに考えれないため、勉強以外で持っている才能を生かせず、悲しく苦しい人生を送る可能性が高まる。心に傷を負った人まで含めたら、相当な人数の生徒が悲しい目にあっている。

●不適切な評価基準を用いて悪く言うのは不当
ここで考えなければならないのは、現在の学校で教えている勉強ができないのが、それほど悪いことなのだろうか。何しろ、学校で勉強した内容のうち、ごく一部しか社会に出て役立たない現実がある。役立たない勉強が苦手だからという理由で、本人を悪く言っても構わないのだろうか。

社会で生きていく際には、いろいろな方法から選べる。スポーツが得意なら、プロのスポーツ選手になるとか、スポーツジムのトレーナーになるとか、いくつかの仕事が選べる。芸術が得意なら、有名な芸術家だけでなく、いろいろなものをデザインする仕事は何種類もある。同様に、人と話すのが得意だとか、人を使うのが得意だとか、子供や動物の世話が好きだとか、生徒ごとに違った才能がある。もし才能が大きくなくても、好きな分野で努力すれば、その分野で仕事する程度の能力は身に付けられることが多い。

このような仕事を、学校の勉強と照らし合わせると興味深い。算数や国語の基礎的な部分だけは、どの仕事でも必要だろう。しかし、より高学年の算数や国語と、それ以外の科目は、選んだ仕事によって必要かどうかが違う。個々の仕事ごとに細かく見れば、必要なのはごく一部だけで、必要のない科目のほうが圧倒的に多い。また、学校で教えてくれない勉強が格段に必要となる。そんな状況にも関わらず、なぜ学校の成績だけで悪く言われなければならないのだろうか。

真剣に考えれば考えるほど、学校の成績の低いことが、悪いとはどうしても思えない。狭い意味の学問しか教えていない現状では、学校の成績はごくごく一部の能力しか評価しておらず、評価基準としては不適切である。そんな基準なのに悪く言われるのは、絶対に納得できない。明らかに不当行為だ。

おそらく、教師や親は深く考えずに、成績の低いことが悪いと思っている。いわば、社会や文部省から押しつけられた概念だ。押しつけられたのに疑問を持たないので、そのまま鵜呑みにして、成績が低いと悪く言ってしまう。もちろん、悪気などない。しかし、悪気がないから何の責任もないのだろうか。生徒の一生に関わることなので、悪気はなかったで済まされる問題ではないのだ。
 
  List
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_326956
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
327202 実際の社会生活で役立つ知識の教育 匿名希望 京 17/06/09 PM11

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、43年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp