採取生産時代の「まつり」の位置付けは概ね皆さんが投稿されているとおりだと思います。
しかしそれが、集団統合に果たした役割と同時にその特殊性や限界も見ておく必要があるように思います
皆さんの挙げられている事例や分析しておられる対象は、概ね採取生産中期から後期にかけてのものだと思われます。ここでの特徴は、既に祭りが日常的なものではなくなっていることです。もともとの祭りの原点は原始時代の踊り(=歩行訓練)です。これは極めて日常的なものです。かつ闘争課題と解脱が一体化したものです。そして洞窟から出て以降は、日常的な皆が集まる食事の場そのものが、同時に饗の場であり、方針の合意の場であり、かつ最大の解脱共認の場であった、と思われます。
しかしその後採集生産中期以降の「まつり」は明らかに「非日常的」なものになり、従って大掛かりで手の込んだものつまり「象徴的」なものになっています。ではなぜまつりは「非日常的」「象徴的」なものになったのでしょうか?
結論から言うと、いつも一緒に一体となって生活している集団であれば、非日常的な特別の儀式は必要ありません。つまり、その条件が消えたことが非日常化した原因と推測されます。そして、それにはおそらく二つの要因が考えられます。
一つは狩猟生産の進展です。概ね狩猟生産については男達の遠征部隊がおり、母集団から離れた場所で獲物を求めてキャンプを張っています。つまり皆がいつも行動を共にしているわけではありません。だからこそ皆が集まる統合の場を「人工的」に設定する必要があったのだと思います。
もう一つが(こちらの方がより本質的と思われますが)集団規模の拡大とそれに伴う集団の分割及び多段階編成です。
これを作り出した原因が同類圧力であることは既に触れました。集団分割は小集団内の共認の高密度化を、多段階化(概ね胞族・氏族・部族の3段階編成)は集団全体としてのヒエラルキー的編成を意図したものです。つまり圧力条件の変化に伴い、集団(闘争)適応を高度化再編したものです。
しかしこのことは同時に集団統合上厄介な問題を孕みます。例えば単位集団に分割されれば、単位集団相互は日常的には行動を共にしません。それぞれの単位集団には自己収束性(閉鎖性)のベクトルが働きます。つまりそれぞれの集団間に遠心力=独立性のベクトルが働きます。
また集団のヒエラルキー編成は上位統合課題(防衛・土木・指導課題等か?)を担う層を作り出し、これまた彼らは日常的には単位集団の人々とは「一緒にいない」状態を作り出します。以上の集団統合上の矛盾に直面し、だからこそ改めて人工的に「祭・祀・政」が一体となった”特別の場”を設ける必要があったのでしょう。 |
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