学校って、必要なの?
326226 学校制度の欠陥。子供を潰す為の制度でしかない。:@/2
 
松本幸二 ( 60代 京都 事務 ) 17/05/03 PM10 【印刷用へ
幼稚園から始まり大学までの学校は本当に子供が将来の可能性を発見する場所で有るのだろうか?昔と大きく社会状況が変化して、現在の学校教育は子供を潰す機関に成っている様にも思う。
強制的な押し付け詰め込み教育では、子供達の内在的活力が生じて来ない。マニュアル化(国の教育指針・・)された教育では彼らの脳は活性化せず、面白く無く退屈な勉強なのだ。

其処で学校教育の欠陥の記事を紹介する。

(引用開始)
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数学屋のメガネ
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[教育]学校という制度の欠陥
我々の社会にはさまざまな問題がある。学校の問題もその一つだが、その問題を生み出した原因が個人に帰するのか・制度に帰するのかは重要な問題だ。もし学校の問題が教師という個人に帰するのであれば、それは現政府や文科省が言うように、教師の資質の向上で解決する問題になるだろう。しかし、それが個人ではなく制度に帰する原因を持っていれば、制度を改革する以外に問題を解決することは出来ない。
ジョン・テイラー・ガットさんは、学校の問題は制度の問題であり、個人の問題ではないということを主張している。実際に教師個人というのはまじめで誠実であり、善意にあふれているのは同僚として働いている人々を見るとよく分かる。そして、彼らはそれなりに有能な人間たちばかりだ。しかし、このように優れた人材がそろっていても、学校が持っている問題の解決には程遠い。
ジョン・テイラー・ガットさんも「優しく、思いやりのある多くの人々が、教師として、助手として、管理者として働いているにもかかわらず、彼らの努力は学校の抽象的な論理に押しつぶされている」と書いている。「抽象的な論理」というのは、システムの問題であり制度の問題であるということだ。個人の努力では解決不可能な要素があるということをこの言葉で表現している。

「義務教育という形態は、1850年ごろ、マサチューセッツ州で考案された」そうだ。「その目的は大衆を厳しく管理することだった。つまり、学校は公式どおりに行動する人間、コントロール可能な人間を生み出すためにつくられたのである」とジョン・テイラー・ガットさんは語る。この目的が学校の問題を生むのだと主張している。これがまさに制度の問題として生じてくる。そうであるなら、ガットさんが言うように、「それは教師の質や予算不足とは関係ない」だろう。

「同じ年齢、同じ階級の人々をまとめて監禁するような制度に従うことは、人生を台無しにすることに他ならない。それは人間のあらゆる可能性を奪い、人々を過去や未来から切り離して、ただ連続する現在にとどめようとするものだ。
チャイムの音で教室を移動させ、個人のプライバシーどころか、家庭という聖域にまで踏み込んで「宿題」をやらせようとする学校−−そんなところで子ども時代をすごすのは、実に愚かで、不自然なことである。」

とジョン・テイラー・ガットさんは語っている。この学校がいかにして子どもを駄目にしていくのか、子どもの成長を阻害するのかを見ていこう。ガットさんはここでは8個の指摘をしている。最初のものは次のようなものだ。

1 大人の世界に無関心になる。
  昔の子どもにとって、大人が何を考えているかを探るのは実に刺激的な行為だった。しかし、最近では、誰も子どもが成長することを望まず、何より子どもたち自身がそれを望んでいない。彼らを責める資格は誰にもない。大人はただのおもちゃになったのである。

大人はいつまでも子どもを支配していたいのだろうか。支配するためには、子どもが成長しないように邪魔をするのが一番効果的だ。社会における大人の態度を見ていると、そのようなことを感じないではいられないのだが、それでも昔の子どもたちは、その邪魔を乗り越えて成長していくだけのバイタリティーがあったようにも感じる。
今は、子どもたち自身も成長したくないように見える。なぜ彼らは成長することを望まないのだろうか。大人に支配され邪魔をされることが、彼らを幸せにするとは思えないのに、なぜそこにとどまろうとするのだろうか。
かつての子どもたちには、たとえ身近の大人が邪魔をする存在であっても、理想となるようなロールモデルとしての大人があったような気がする。子どもの邪魔をするような大人は昔はひまをもてあましているような大人だった気がする。そのようなひまがなく、自らの仕事に没頭している大人は、子どもの成長の邪魔をするようなことはまったく関心がなか
ったようだ。そのような大人がかつてはたくさんいたように思う。

今は、子どもに関心を持った大人が増えてはいるのだろうが、残念なことに、子どもにかかわるときに成長の邪魔になっている大人が多いのではないかと思う。これなら、忙しく仕事をしていてくれたほうがまだましだったのではないかと思う。
映画「鉄道員」に描かれたように、かつての大人たちは自分の仕事に誇りを持っていたが、今は、内田さんが指摘するように仕事は不快さを示す記号になってしまったのかもしれない。大人になることは、その不快を受け入れることであり、子どもたちはそのような成長を拒否しているのかもしれない。

2 集中力がほとんどなく、あっても長続きしない。
 今の子どもは、自分で選んだことに対してさえ、集中力が持続しない。これはチャイムによる強制的中断と関係があるのではないだろうか。

このジョン・テイラー・ガットさんの指摘には僕は賛成だ。夢中になるというのは、回りのものから関心が離れて、まさにそのものだけが見えてくることに他ならない。そして、その状態を集中というのだが、そうしたいときに必ず中断されるような生活を繰り返していたら、集中しないほうが心を乱さずにすむようになると学習するのではないかと思う。集中したいときに集中できるような環境というのが子どもの場合には絶対に必要だろうと思う
。子どもの集中力を阻害しているのは大人であり、学校の制度なのだと思う。
**************
(引用終了) A/2に続く。
 
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