子育てをどうする?
324847 不登校から再び学校へ 「11歳の哲学者・中島芭旺くん」に母が贈った言葉
 
時田 弘 ( 30 千葉 会社員 ) 17/03/07 PM10 【印刷用へ
不登校から再び学校へ 「11歳の哲学者・中島芭旺くん」に母が贈った言葉
プレジデントオンライン
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より、引用・紹介させていただきます。
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●不登校になった直後、母が息子にかけた言葉

『プレジデントFamily2017春号』より(市来朋久=写真)。文章はすべてパソコンやiPadで書いている。パソコンを使い始めたのは3歳。疑問が湧いてきたときも、まずはインターネットで検索。「グーグル先生にいろいろ教えてもらっています」(弥生さん)

どのような子育てをすれば、芭旺くんのように才能の芽を伸ばしてやれるのか。母の弥生さんに聞いてみた。

「常に言ってきたのは、感情を言葉にする大切さです。『私たちは超能力者じゃないんだから、わかってもらえると思わないで伝え合おうね』って。日常のささいなことでも、お互いに『ありがとう』と言い合っています」
その言葉のやりとりで、弥生さんが心がけたのは、「生まれてきてくれありがとう」という気持ちを怠らずに伝えることだ。

「親が子供にしてやれるのは、そのままの存在を認めて、そのままでいいと伝えることしかないと思うんです。それがきちんと伝われば、子供は自信を持ち、自分という存在を認められるようになる。その後は子供の判断に任せればいいと思っています。むしろ、子供の邪魔をしないのが親の役割だと思いますね」

もし、子供が世の中の常識や親の価値観から外れた選択をしても、子供を信じてそっくりそのまま受け入れる。人と違うことを恐れるのでなく、人と違うことを楽しみ、尊重する。それは誰に教えられたわけでもなく、弥生さん自身が当たり前に身につけていた感覚なのだという。
そもそもこの本を書いたとき、芭旺くんはいわゆる不登校児だった。

両親の離婚によって、福岡から東京の小学校に転校。前の学校と違い、そこは居心地のいい場所ではなかった。芭旺くん曰く、「自分が空気を読めないせいで」友達からいじめを受け、子供は大人の言うことをきいて当たり前と強制する先生への不信感も募った。そして、小3の2学期を前に「学校に行きたくない」と弥生さんに伝えたのである。
子供が学校を拒絶したら、大抵の親はうろたえて、学校に行かせる方策を考えるだろう。しかし、弥生さんの行動は違った。

「まず、伝えたのは、『よく言えたね』という言葉でした。我慢して学校に行っていることはわかっていたので、自分の思いを言えたことを褒めてあげたいと思ったんです。そして、その気持ちを受け入れて、すぐに自宅学習にできないかと学校へ相談に行きました。不登校というとマイナスイメージがありますが、学校に行かないのは選択肢のひとつ。学校では学べないことはたくさんあると思います」

自宅学習に切り替えてから、芭旺くんは「好きな人から学ぶ」という方式をとるようになった。先生になったのは、無数の本。幼児期から辞書を持ってきて「読んで」とせがむ子だった彼は、科学漫画のサバイバルシリーズやコロコロコミックに熱中する一方で、『嫌われる勇気』『神さまとのおしゃべり』『夢をかなえるゾウ』といった大人向けの本も読みこなすまでになっていた。

取材時に、今、一番のお気に入りの本として持ってきたのは、『藤原先生、これからの働き方について教えてください』だった。この本にある著者の藤原和博さん(教育改革実践家・杉並区立和田中学校元校長)の「レアカードになれ」(自分の「希少性」を高めて、世の中で「レアな存在」になること)という言葉が、自分の考えていたことそのものだったのだとか。

(中略)

●昨年末、不登校解消!「僕が学校へ戻った理由」

冒頭でも書いた通り、その本は多くの人に感動と勇気を与えた。しかし、一方で、学校できちんと勉強をさせるべきではないかといった批判があるのも事実だ。
そこで、芭旺くんに聞いてみた。「勉強ってなんだと思う?」。すると、彼はこともなげに即答した。

「勉強はやりたくてするもの。やりたいことをするためにするもの。やりたいことをするための勉強ならその勉強は楽しくなる」

学校で習うような正解のある勉強は、やる気になればいつでもできる。学校は行っても行かなくてもいい場所。芭旺くんはそう考えている。
その「行っても行かなくてもいい場所」に対して、行かない選択をしてきた芭旺くんだが、昨年末、ある決断をした。選択を「行く」に変えて、幼稚園時代からの友達がいる、かつて通っていた福岡の小学校に戻ろうと決めたのだ。なぜ、学校に通う気持ちになったのだろう。芭旺くんはこう言う。

「僕は今、とても自由だけれど、その自由によって逆に不自由になっている部分がある気がしてきたんです。学校という場所で、それを確かめてみようと思いました」

東京から福岡に戻ったら、お父さんとの2人暮し。それは2度目の経験だ。以前はお母さんに会いたいと泣いていた芭旺くんだが、今回は違う。ブログにはこんな逞しい言葉が綴られていた。

<僕達の「家族」っていう定義は辞書に載ってるのとは違う。僕は、地球に住んでて僕の家はとっても広い家でママの部屋に行くのには飛行機に乗るっていうだけのこと(中略)定義をちょっとだけ変えると世界は広がる>

一方、弥生さんは、芭旺くんの姉である高校生の娘との2人暮らしになった。
「福岡にたった翌朝、芭旺くんがいないことに涙が止まりませんでした。でも、そのときに考えたことをショートメールで伝えたら吹っ切れました。返ってきたのは、『はーい』の一言だけでしたけれど(笑)」
学校には戻っても「好きな人から学ぶ」というスタイルは続けていく。生活のベースは福岡でも、東京にもちょくちょく行く計画だ。どちらも「あり」な、芭旺くんの新しい世界が始まった。

変化のスピードが速い不確実なこれからの時代を生き抜くには、人と違うことを創造できる力や正解のない問いを考え答えをみつけようとする力が必要だと言われている。
そのために行われる教育改革では、従来の知識偏重型から思考力・判断力・表現力を伸ばす教育へとシフトチェンジがされる。日本の教育のあり方が大きく変わろうとしている今、子を持つ親が芭旺くんや彼の家族から学ぶことは少なくないだろう。
 
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