学校って、必要なの?
324408 過疎問題の本質は教育問題
 
孫市 ( 40 宮城 会社員 ) 17/02/19 PM09 【印刷用へ
「過疎問題の本質は教育問題」であることが、よく分かる名文だ。
地域共同体を崩壊させたのは、教育制度である。

>私は中学校、普通高校、大学の10年間で組織的にワカモノの魂を抜く営みを、教育という名のもとで行っているのではないか、という疑義をぬぐえない。
>いつまでも都会の「良い学校」に子どもを行かせるのが親の努めという考え方はやめて、高等教育まで地域の中でやっていくような工夫をしてみようではないか。
>このきわめて難易度の高い取り組みが、持続可能な地域をつくるためには遠回りのようで近道なのではないかと思う。


だいずせんせいの持続性学入門 より転載です。
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過疎問題の本質は教育問題
2010-02-18 00:38:34
 
 過疎地とよばれる地域でいろいろな話を聞いていると、過疎問題の本質は実は教育問題ではないかという思いを強くする。あるところでは、こどもが上の学校に上がるタイミングで一家で町に出て行くという。地域内でも小学校が統合されて消滅した集落から、残っている集落に引っ越す家族がいる。小学校がなくなった集落はがっくりと生気がなくなってしまう。せっかくIターンでいなかに入ったワカモノが、結婚して子どもが学校にあがる頃になると、町に帰っていってしまう。
  いなかでは、多少の田畑で食料を自給すれば、それほど現金収入がなくてもそれなりに豊かな暮らしができるのであるが、もっとも切実なのは教育費である。通える範囲に高校がなく、下宿する場合には相当な費用がかかる。通える場合でも公共交通機関が不備で、親たちがオカネを出し合ってバスをチャーターするために費用がものすごくかかるという例も聞いた。その後、大学に進学したときの授業料と下宿代を考えると、途方に暮れてしまう親も多いだろう。さらにいなかでは「良い大学」に入れるような教育が施せないと考える親もいるようだ。

  そして、子どもはというと、農家の子どもでも農作業をやったことがない。手伝うヒマがあったら「勉強しなさい」と言われて育っている。そういう子どもが大学に来て、適当に授業に出て単位をとって、就職活動をして、都市のホワイトカラーとして就職する。いなかには帰って来ない。親たちも「都会に出してやった」という思いで、何か親としての責任を果たしたような気になる。いなかは過疎になるはずである。

  かつては「良い学校に行って、良い会社に入る」ことが自明の目標とされ、中学校、普通高校の教育とは受験勉強であるというのが何の疑いも持たれなかった。ところがそうやって「良い会社」にいる父親たちが疲労困憊しているのを見て、特に普通高校の生徒たちは、何のために勉強するのか訳がわからなくなっている。訳がわからないながら大学に来て、受験勉強する必要がなくなって、ますます何のために勉強するのか訳がわからず卒業していく。私は中学校、普通高校、大学の10年間で組織的にワカモノの魂を抜く営みを、教育という名のもとで行っているのではないか、という疑義をぬぐえない。大学の教員として私一人でできる範囲では、「魂を入れる」教育をする努力をしているつもりであるが、全体としてそういうことになっていることについて、忸怩たるものがある。

  そのような高校や大学ならいらないではないか。加子母のN工務店のN社長とお話していると、最後はそこで意見が一致してしまう。特に国立大学を出た人間は「使えない」と社長は言う。プライドが高くこだわりが強く、自分の持ち場で事態の進行に柔軟に対応しながら、ひたむきに仕事に打ち込むということができないという。耳が痛い。たぶんそうだろうな、と思わざるを得ない自分がたいへん残念である。 

  私は、将来の持続可能な社会の暮らしのようすを空想した小説もどき「風森まちのお気楽日記」の中で、ひとつの教育の姿を描いた。中学校、高校の授業は午前中のみ。午後からは家の田畑で農作業。もちろん受験勉強はなし。中学校では認識論の授業があったりする。大学生は午前中地域の企業で働き、授業は午後。すべて小さな地域の中で教育が行われる。大学の先生たちは午前中に農作業。食料は自給していて給料は安い。各地を渡り歩いてその地域の企業で修行しながら、気に入ったところがあれば住み着くというワカモノたちもいる。

  食べるものをつくるところから始めて、暮らしの技を身につけた上で、さらに地域に役立つ専門的な知識と技量を身につけ、「一人前」になって地域社会を支える。シンプルに、すなおに考えて、これが教育というものだろう。だとすれば、教育は地域の中で行われなければならない。そこに教師がたくさんいる必要はない。教師はコーディネータでもあり、地域内の仕事人や専門家に先生になってもらって地域全体で子どもたちを鍛える。
  専門性の高い教師は各地を渡り歩いてもよい。よい評判がたてば、引き合いが多くなる。評判が良くなければ教師としてはやっていけない。一回一回の授業が勝負である。また私塾を開き弟子をとって研究と後継者育成をするようになればよい。そういう私塾がいくつか寄り集まればそれが大学とよばれるだろう。

  こういう姿から最も遠いところにあるのが、現在の私たちの教育システムではなかろうか。いつまでも都会の「良い学校」に子どもを行かせるのが親の努めという考え方はやめて、高等教育まで地域の中でやっていくような工夫をしてみようではないか。このきわめて難易度の高い取り組みが、持続可能な地域をつくるためには遠回りのようで近道なのではないかと思う。
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(転載おわり)
 
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