民主主義と市民運動の正体
323822 民主主義の基本はいかに『多数決をしないか』だと思うんだよね。
 
洞口海人 17/01/27 PM11 【印刷用へ
違和感を流さず、鋭い視点・かつ自然体で『民主主義』を斬っている。

《以下引用》リンク

多数決は民主主義の決定プロセスの『ひとつ』であって『すべて』ではないって、確か小学校の授業で習った気がするんだけどなあ。学校によって違いがあるんですかね?

■多数決が民主主義では無いとすれば民主主義とは何なのか

まずはそもそも民主主義って何だっけな?ということを考えてみたいと思うのですが、ちょっとサボってWikipediaの内容をそのまま引用させて頂きますと、下記の通りとなります。
______________________

民主主義(みんしゅしゅぎ、デモクラシー、英語: democracy)とは、国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制・政体を指す。日本語では特に政体を指す場合は民主政(みんしゅせい)とも訳される。日本語の広義の「民主主義(みんしゅしゅぎ)」は上記の体制・政体をも指すが、狭義ではこの民主制・民主政を他の制度より重んじる主義(思想・運動)を言う「=民主制主義」。
______________________

意思決定を、みんなの『合意』によって決めることを『民主主義』って言うんですね。『その合意を取る方法は多数決しかないじゃないか』というようなことを言いたいんだと思うんですけど、そこが根本的に間違っていると思います。

敢えて、語弊を恐れずにいうと、民主主義の基本は『全会一致』だと思います。つまり、みんなが『これなら受け入れられる』という案を作るために知恵を出し合い、それでもどうしても意見の取りまとめが出来ないときだけ『多数決』という伝家の宝刀を抜くというのが、本来の民主主義の姿だと思うんですね。

■民主的な意思決定とは

こんな話は、小学校の授業で『ぎろんのしかた』とかそういった内容でやったような気もするのですが、民主主義の基本的なプロセスって
1.論点の設定
2.参加者の招集
3.参加者発言
4.情報の整理
5.意見の集約
6.全員で可決

となるものだと思っていたんですけど、違うんですかね?民主的な意思決定において、重要なことは
・多数の人が参加して決定すること
・参加者に十分な量・精度の情報が与えられること
・議論の上、全体最適かつ個人の被害が最小化される案が作られること
・参加者が十分理解納得の上、合意ができること

じゃなかったんでしたっけ。多数決というのは、抜けば必ず誰か傷を負うことになる伝家の宝刀です。よく、就職活動の『グループディスカッション』で『多数決は絶対に駄目』というのはそういうことなんですね。つまり、『多数決』をしなきゃいけないのは、議論が失敗したことを意味し、『上手に議論をする才能の無い人達だった』ということの証明にしかならないからです。

■多数決では組織を維持できなくなる

ちょっと昔の話になりますが、『会社は株主のものである』か否かというような言説が盛り上がっていた時期がありました。確かに、会社の最高意思決定機関は『株主総会』であり、会社の方針や利益の処分を決定する方針は株主にあります。

だからといって株主がなんでも出来るのかといえば、そうではないんですよね。会社で働いている従業員の協力なしには会社は存続し得ないし、商品を誰も買ってくれないようになれば利益は発生しません。とある社長さんが、『取締役とは、資金の提供元・原料労働力の調達元・商品の販売先の利害関係を調整し、付加価値を創造する機関である。つまり、配当・賃金・価格の最適なバランスを取ることがお仕事。』といっていましたが、制度上は誰が上で誰が下っていうものがあったとしても、利害が相互に依存するため、誰かが権利を振りかざすとみんなの利益が損なわれちゃうんですよね。

民主主義っていうのも、本来そういうもので、『最後は多数決にならざるを得ない時』というものは存在するけれど、より多くの人とより詳細な議論を行い、お互いの妥協点を探りながら、じっくり『みんなにとっての最適解』を探っていくプロセスなんですね。少数派を『数の力』で排除していくのであれば、結局それは『多数派』と『少数派』の間に溝を深めていくことになり、社会の分断を深める結果になります。なので、時間をかけてもみんなが納得できる方法を探していくしか無いんですね。

多数決っていうのは、十分な参加者・時間をかけて議論を行った上で、それでもなお残った一部の少数派が結論の形成を除外している時のみ使うべきものであって、『基本』というのはちょっと違うんじゃねえの?と思う今日このごろで御座います。

今回のケースがどんなものだったのか、わたしにはまだきちんと評価が出来ていないので、その件についてはよく分かりません。でも、『民主主義の基本は多数決』なんていう人がたくさんいるのであれば、社会の効率性を下げる要因にならないのかなあと、ふと余計な心配をしてしまいますね。

《引用以上》
 
  List
  この記事は 256228 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_323822
  ※トラックバックは承認制となっています。

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp