明治までの企業は、多かれすくなかれ、会社は経営者も含めた社員のものという日本的価値で、運営されていた。しかし、西洋の金貸しの介入で、企業経営手法から教育まで、それとは正反対の価値を植えつけられた。
その結果、自分のことしか考えない人間がどんどん増え、企業は資本家の金儲けの道具になり、国民はただ資本家に奉仕する存在になった。その最終形が現在の行き詰った日本である。
この再生には、会社は経営者も含めた社員のものという日本的価値の復活が鍵になる。
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(リンク)
世界に、創業から200年以上経過する会社は5,586社(計41カ国中)あるそうです。
このうち半分以上の3,146社が日本の会社です。
さらに創業千年以上の会社が7社、
500年以上が32社、
100年以上になると、その数5万社以上です。
それだけご長寿企業がたくさんあるということは、終身雇用、儲けよりも人という、日本的経営の考え方が、正しい、もしくは理にかなっているということになります。
出光佐三氏は、終生自分は、社長でも会長でもない。
どこまでも出光商会の店主であるという考え方を押し通しました。
具体的には次の4つの理念を掲げ、これを終生守り抜いています。
それは、
(1) クビを切らない
(2) 定年を設けない
(3) 出勤簿を作らない
(4) 労働組合をつくらない
というものです。
これを出光佐三氏は、出光の「四無主義」と呼びました。
ひと目見ておわかりいただけますように、これは戦後、欧米からマネジメント手法として輸入され、いまではごくあたりまえになっている、
リストラをする
定年制を敷く
勤怠管理を徹底する
労組を置く
といった、現代企業があたりまえとする考え方の対局にある考え方です。
なぜ対極になるかというと、これもまた出光佐三氏の言葉があります。それは、
「社員は、雇用しているのではない。家族なのだ」
というものです。
佐三氏は、これを「人間尊重主義」、「大家族主義」の経営哲学と呼びました。
要するに、昔からある日本式商店の経営哲学です
(中略)
拝金主義は、
「いま、カネを持ってる、
いまカネを稼いでいる、
いま贅沢な暮しをしている」
というように、とかく「いま」しかみようとしません。
とにかく「いま」さえ良ければ、何をやっても構わないと考える。
日本の近くにある歴史のない国など、国をあげてそれをやっています。
ところが伝統的な日本的価値観では、過去現在未来にまたがる普遍性を大切にします。
そうなると、いまこの瞬間に金を持っているということよりも、もっと大切な価値があるということを大切にするようになります。
そしてこの場合、自力で人道主義と士魂商才を、新しい資源エネルギーの未来に向けて実現しようとする男への投資こそが、まさに価値ある行動となるのです。
明治の終わりごろの日本には、まだまだそういう無形のものを大事にするという日本人本来の文化的価値観が、色濃く残っていたのです。
(中略)
そして出光商会は、この時期に、従業員千名程を抱える大会社に成長したのです。
こうして個人経営の出光商会は、昭和15(1940)年には改組して、出光興産株式会社となります。
ところが、その5年後の昭和20年、日本は戦争に破れてしまいます。
日本は外地を失いました。
国内は焦土と化し、佐三氏もすべてを失なってしまいました。
その昭和20(1945)年8月17日、出光佐三は社員二十人を集めて訓示しました。
そのときの言葉です。
「愚痴はやめよう。
世界無比の三千年の歴史を見直そう。
そして今から建設にかかろう!
泣き言はやめよう。
日本の偉大なる国民性を信じよう。
そして再建の道を進もうではないか!
具体的なアテなどありません。
けれど佐三氏は、日本を信じたのです。
さらにこの1ヶ月後、佐三氏は驚くべき宣言をしました。それは、
「海外から引き揚げてくる社員は一人もクビにしない!」
というものでした。
当時の出光の従業員数は、約1,000名です。
そのうち約800名が、外地からの復員です。
外地で力を伸ばした企業が、その外地の販路をすべて失ったのです。
資産もない、事業もない。
膨大な借金があるだけです。
どうやって復員者を受け入れるというのか。
どう考えても、やりくりできるはずなんてありません。
多くの企業は、ガンガン人員整理をしていました。
それを出光佐三は約1千名の従業員の首を、誰ひとり切らないと宣言したのです。 |
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