日本を守るのに、右も左もない
322977 会社は経営者も含めた社員のものという日本的価値こそが、社会再生の鍵1
 
本田真吾 HP ( 壮年 香川 建築家 ) 16/12/30 PM09 【印刷用へ
明治までの企業は、多かれすくなかれ、会社は経営者も含めた社員のものという日本的価値で、運営されていた。しかし、西洋の金貸しの介入で、企業経営手法から教育まで、それとは正反対の価値を植えつけられた。

その結果、自分のことしか考えない人間がどんどん増え、企業は資本家の金儲けの道具になり、国民はただ資本家に奉仕する存在になった。その最終形が現在の行き詰った日本である。

この再生には、会社は経営者も含めた社員のものという日本的価値の復活が鍵になる。

/////////////////////////////////////////////////////////////////
リンク
世界に、創業から200年以上経過する会社は5,586社(計41カ国中)あるそうです。

このうち半分以上の3,146社が日本の会社です。
さらに創業千年以上の会社が7社、
500年以上が32社、
100年以上になると、その数5万社以上です。

それだけご長寿企業がたくさんあるということは、終身雇用、儲けよりも人という、日本的経営の考え方が、正しい、もしくは理にかなっているということになります。
出光佐三氏は、終生自分は、社長でも会長でもない。
どこまでも出光商会の店主であるという考え方を押し通しました。

具体的には次の4つの理念を掲げ、これを終生守り抜いています。
それは、
 (1) クビを切らない
 (2) 定年を設けない
 (3) 出勤簿を作らない
 (4) 労働組合をつくらない
というものです。
これを出光佐三氏は、出光の「四無主義」と呼びました。

ひと目見ておわかりいただけますように、これは戦後、欧米からマネジメント手法として輸入され、いまではごくあたりまえになっている、
 リストラをする
 定年制を敷く
 勤怠管理を徹底する
 労組を置く
といった、現代企業があたりまえとする考え方の対局にある考え方です。

なぜ対極になるかというと、これもまた出光佐三氏の言葉があります。それは、
「社員は、雇用しているのではない。家族なのだ」
というものです。
佐三氏は、これを「人間尊重主義」、「大家族主義」の経営哲学と呼びました。
要するに、昔からある日本式商店の経営哲学です
(中略)
拝金主義は、
「いま、カネを持ってる、
 いまカネを稼いでいる、
 いま贅沢な暮しをしている」
というように、とかく「いま」しかみようとしません。
とにかく「いま」さえ良ければ、何をやっても構わないと考える。
日本の近くにある歴史のない国など、国をあげてそれをやっています。

ところが伝統的な日本的価値観では、過去現在未来にまたがる普遍性を大切にします。
そうなると、いまこの瞬間に金を持っているということよりも、もっと大切な価値があるということを大切にするようになります。

そしてこの場合、自力で人道主義と士魂商才を、新しい資源エネルギーの未来に向けて実現しようとする男への投資こそが、まさに価値ある行動となるのです。
明治の終わりごろの日本には、まだまだそういう無形のものを大事にするという日本人本来の文化的価値観が、色濃く残っていたのです。
(中略)
そして出光商会は、この時期に、従業員千名程を抱える大会社に成長したのです。
こうして個人経営の出光商会は、昭和15(1940)年には改組して、出光興産株式会社となります。

ところが、その5年後の昭和20年、日本は戦争に破れてしまいます。
日本は外地を失いました。
国内は焦土と化し、佐三氏もすべてを失なってしまいました。

その昭和20(1945)年8月17日、出光佐三は社員二十人を集めて訓示しました。
そのときの言葉です。

「愚痴はやめよう。
 世界無比の三千年の歴史を見直そう。
 そして今から建設にかかろう!
 泣き言はやめよう。
 日本の偉大なる国民性を信じよう。
 そして再建の道を進もうではないか!

具体的なアテなどありません。
けれど佐三氏は、日本を信じたのです。

さらにこの1ヶ月後、佐三氏は驚くべき宣言をしました。それは、
「海外から引き揚げてくる社員は一人もクビにしない!」
というものでした。

当時の出光の従業員数は、約1,000名です。
そのうち約800名が、外地からの復員です。
外地で力を伸ばした企業が、その外地の販路をすべて失ったのです。
資産もない、事業もない。
膨大な借金があるだけです。

どうやって復員者を受け入れるというのか。
どう考えても、やりくりできるはずなんてありません。
多くの企業は、ガンガン人員整理をしていました。
それを出光佐三は約1千名の従業員の首を、誰ひとり切らないと宣言したのです。
 
  List
  この記事は 311969 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_322977
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
322978 会社は経営者も含めた社員のものという日本的価値こそが、社会再生の鍵2 本田真吾 16/12/30 PM09

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
超国家・超市場論1 新しいまつり場は、国家と市場を超えられるか?
超国家・超市場論2 闘争(能力)適応 と 共生(取引)適応
超国家・超市場論3 置かれた環境を貫く 闘争圧力を把握せよ
超国家・超市場論4 同類闘争の圧力と共認統合の限界
超国家・超市場論5 私権闘争・掠奪闘争をどう止揚・統合するのか?
超国家・超市場論6 生存圧力に基づく同類闘争から、同類圧力に基づく同類闘争=認識競争へ
超国家・超市場論7 私権闘争を統合した 力の序列共認
超国家・超市場論8 国家(力の序列共認)と その統合限界
超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である
超国家・超市場論10 何をするにもお金がかかる社会
超国家・超市場論11 市場は社会を統合する機能を持たない
超国家・超市場論12 市場の拡大限界は、国家の統合限界でもある
超国家・超市場論13 人類の新たな活力源=圧力源
超国家・超市場論14 外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』
超国家・超市場論15 『認識形成の場』こそ、新しい社会統合機構の中核である
超国家・超市場論16 ゼロから、自分たちの『場』を作る活動
超国家・超市場論17 新しい社会統合機構が、国家機関を吸収・解体する
超国家・超市場論18 認識形成の『場』を構築することこそ、真の社会活動である
超国家・超市場論19 もう、傍観者=インテリ統合階級は、要らない
超国家・超市場論20 認識形成は遊びではない、生産活動である。
超国家・超市場論21 『認識形成の場』が、なぜ有料化されるべきなのか?
超国家・超市場論22 お金は、現実の必要度を測るモノサシ
超国家・超市場論23 『必要か、必要でないか』という真っ当な判断の土俵が出来てゆく
超国家・超市場論24 必要か否かの『判断の土俵』が、国家と市場を呑み込み、解体し、再統合してゆく
超国家・超市場論28 新しい可能性が顕在化するとは、どういうことか?
超国家・超市場論29 新しい『場』は、古い評価指標の洗礼を受けて、はじめて顕在化する
超国家・超市場論30 実現の論理
判断の土俵と解体・再統合 大学の例
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
社会統合組織の史的総括 国家と教団
社会統合組織の史的総括 市場と演場
大衆の期待の変化に応じて統合力も変わってゆく
マイナス原因構造とプラス実現構造という両輪
支配階級の私有権は絶対不可侵だが、庶民の私有権は剥奪され得る

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp