高校3年生と話していて、もう一度学校へ行きたいかどうかを話してみると、インフルエンザのために希望の高校に入れずに併願の高校へ行った女子からとても肯定的な答えがあった。
中学のあの高偏差値を暗黙の目標にした校風から解放されて、いろいろな学力クラスに分かれて学ぶことが多いので無理なく授業についていけるようになる。授業に無理が無いから毎日の学校生活も楽しいし学校行事にも積極的に参加できる。そのような高校を楽しんでいる子がなぜまた塾に来ているかと言えば、通っている学校内では楽しいが、その分だけ他の高校の生徒との偏差値が広がってしまったためだ。
無理もない。高校入学からの数年間の差は大きいと嫌でも知る。しかしそれでもまた楽しい同じ高校に通いたいという気持ちは変わらない。
痛いのは、進学高校へ進んだ場合、この比較ができなくなることである。楽しい若い時代と勉強に追われる若い時代の比較。楽しい若い時代を生きて子どもを持った人は無理をさせない確率が高くなる。進学したいと申し出られれば勉強が好きなのだろうと想像し、働きたいと申し出られれば働いて楽しみたいのだろうと想像できる。つまり親になったとき自らの楽しさを基準にして見守ることができるような懐の深い親になれる。
同じ見守るにしても恐る恐る見守るのではなく、堂々と見守ることができる。そしてもし楽しいのと勉強を両立しなければならない時期に本人なりに達したら、楽しい想いをたくさん重ねてきた人は不思議と勉強を苦痛と感じないらしい。これまで大勢の社会人の生徒さん、中退の生徒さんを見てきたが、何かしら充電したあとは勉強に対する考え方が違う。
体験では現在の日本の子育て環境における必要な充電期間(愛着形成に要する期間)は平均して17年くらいであると感じます。ただしこの間に強制をした分だけ必要な期間は伸びるものと予想されますので、最長12年強制した場合は29年くらいかかります。おそらくですがこれほどの長期間になれば性と性の距離、現実と意識の距離、は相当に広がってからの修復となりその間にも心身の年齢は上がっていくので、性の距離の最接近と意識の距離の最接近は同時期が良く、強制期間0にして現実と意識の乖離を防ぐことが必要であると想います。 |
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