試験は誰が作るのでしょうか?
テスト業者か、テストを実際に実施する人の手作りでしょう。
そのデータベースは?
過去の問題をそのままか、すこし改変したものでしょう。
試験自体は進化しているのでしょうか?
試験自体が進化しているのなら、大昔に受験をしたテスト実施者は解けないはずですが、全然解けてしまいます。なので試験は進化していませんし、データーベースも進化していません。
その間、社会は変化しています。
なので試験と社会のかい離は年々ひどくなっています。
ゆとりであれ、学力重視であれ、それを測定する方法に変化がない以上、かい離は酷くなる一方で、これだけでも学校の勉強に忠実であればあるほど、社会に適応できなくなってしまう理由の一つははっきりしています。
そのうえ、試験が変化しないので、試験の対策技術が進めば進むほど、高得点の争いになり、100点なのか90点なのか、あるいは、60点なのか50点なのか、とどの得点階層でも運が良い悪いで決まってしまいます。
本来、能力を試すとしたら、すし屋さんが仕事を手伝いながら一人前かどうかを判定するために、いろいろな場面で必要な能力を見計らうわけで、その合格についてはっきりした期限が定まっているわけでもなく、イケるかどうかがすべてなような気がします。何年たってもダメなものはダメ、歴が浅くても良いものは良い、しかし、何年たってもダメなものはダメとして見放すわけではなく、入門者の出来るだけ多くがオーケーをもらえるようなるように、周囲が協力するというようなものではないかと想います。
つまり、合否を決めるというよりは、合格するまで=仕事ができるようになるまでの期間に長短があるという感じです。
そんな感じで学校のことを考えると、6・3・3も時間をかけて、たった一つのことを競わせているという大変不合理な硬直性を感じざるを得ません。
いったい12年もかけて、通常1回きりの合否、そしてそれが不合格ならなんのセーフティーネットも存在しない教育システムになんのメリットがあるというのでしょうか?
合格という少数与党に、不合格という多数野党を毎年生み出して、どこに民主主義のかけらがあるというのでしょうか?もしも、頭数だけで決まる選挙制度をするとしたとしても、それならば身分保障のない身分から毎年総理大臣が誕生しないとおかしいわけです。そうなったらそうなったでナンセンスな気もしますが、多数決制の現行制度とは矛盾しません。
しかし、これがもし、すし屋さんのやり方で、一人前の人からより優れた人を長として互選するというやりかたなら、多少の着眼点の違いはあっても、大筋で長たる資格のある人が選ばれるような気がします。不合格者の中から多数決や相対順位で合格者を決めている試験制度はおかしいです。 |
|