子供のころの体験=遊びの充足体験の豊かさが、大人になってからの追求力に大きく関わっていることが、この間のグループ追求の中で分かってきた。
だとすると、その中身である、遊びと思考はどのようなつながりになっているのだろうか。
どんぐり娯楽部という塾を経営している、糸山泰造とい人物の語る内容にヒントがありそうな気がしているので、今回は2つの記事を紹介する。
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一部略
『12歳までに「絶対学力」を育てる学習法』 糸山泰造・著、草思社
本の中から一部を抜粋します。
■思考能力は、工夫することでしかつくられません。(p58)
■主体的でなければ、自分自身で自在に使える多様な思考回路をつくりだすことができない(p59)
■大人がすべきことは、「自分からしたいと思うような環境づくりをすること」です。(p82)
■Q.遊びが学力養成になるとのことですが、どんな遊びでもいいのでしょうか? A.工夫ができる状態で自分から進んで楽しくできるものなら、健康に害がない限り何でもけっこうです。 (中略) もちろん、室内でも結構ですが、外(自然)のほうが状況変化が格段に複雑です。ということは、その変化に対応するためのモデル作成も格段に多くなるということです。つまり、学力の素がどんどんつくられるということです。
だから、好きなことを目いっぱいしてきた人のほうが、本格的に勉強をはじめると一気に成績が上がります。(p231)
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遊びのときは、状況変化が多様であり、工夫の余地がたくさんある、ということが一つヒントになりそうだ。
次の記事では、思考力を伸ばすための環境について考察した上で、思考の定着においては、五感と言葉がつながった状態で「納得する」、という感情が重要であることが述べられている。
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「思考の臨界期(+)プラス」(文責:どんぐり倶楽部代表・糸山泰造)
より抜粋
●自然に「人間らしい判断力を含む思考力」を育てられる環境とは以下の通りである。
1日常生活が程良く不便であり、自然に工夫しなければならない環境であること。※非常に便利→工夫しない→思考回路は出来ない
2人工的な遊びが少なく、五感をフル活用して楽しみながら工夫ができる環境であること。※人工的な遊び→豊かな原形イメージを蓄積できない。感情再現も出来ない。オリジナルの工夫が不要(無駄)になる。→思考回路も、判断力や表現力の源である豊かな原形イメージの蓄積も出来ない。
3工夫や感情育成を帳消しにしてしまうような勉強をさせない環境であること。
※反復・スピード・暗記は考えない力の強化しかできない。
■1・2は避けられないが、3は教育環境が整っている日本でならば今すぐに全国民が恩恵を 受けられる。しかし、原形となる感情を伴う(感情再現まで可能な)視覚イメージの定着をさせるべき時期(0〜6才)に、その時間を使ってパターン学習(知的系統的学習)というコピー回路の強化をしていては思考力養成(オリジナルの回路作成)は不可能である。
■パターン学習のコピーは1つのデータとなるだけであり、データをどんなに蓄積しても自在に使える回路そのものにはならない。
●本当の五感を活かして工夫をすることで11-12歳で仕上げとなる判断力養成が可能となり、かつ、正常な感情と思考回路を同時に育てることが出来る。従って、人工的な反応を使った工夫は大変危険で非常に貧弱である。
●出来合のモノ(教具)や絵図(描いてあるヒントの図)を使うのではなくて、自分で作り出した、オリジナルの、なるだけ具体的な(それを見て感情が再現されるような)絵図を描いて、操作すること。単に「分かる」ではなく、面白いとか楽しいとかが非常に大事。学習の時間を感情を再現しない時間にしてしまっては、本末転倒である。また、感情こそが、思考力の仕上げとなる判断力の源なのだから、その最も重要な感覚を麻痺させるような学習方法は少なくとも12歳までは絶対に使ってはいけない。
●「納得する」という感情・・・納得感が思考の定着を保証する。納得することなく(感情を伴わないで)、反復で出来るようになっても定着が悪いのは、感情が伴っていないからである。さらに、徹底反復は、定着時に重要な納得感を感じられなくするという特徴があるのだから、出来るだけ学習では使うべきではない。
●学歴は財産にはならないが、教育は財産となる。そして、教育とは教えることではなく、工夫をさせることである。従って、教育格差など存在しない。少なくとも最も効果的な家庭教育にはお金はかからない。楽しく工夫させること。
●言葉は本体(感情再現or感覚を伴うことが出来る視覚イメージ)を引っ張り出す記号に過ぎない。本体は原形イメージであり、原形イメージは五感で再現できる感覚を伴っている再現可能な豊かなイメージでなければならない。
中略
重要なのは、どれだけ深く繊細に感じ味わうことをしてきたか、そして、意識してきたか(これが味わうということ)である。
視覚イメージと言葉(国語なら日本語、算数なら式、理科なら実験や自然)を自分が納得できるレベルでリンクしているかということである。
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引用終わり |
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