西欧科学は狂っている
3168 『生命と場所』より…生命観
 
蘆原健吾 ( 30代前半 神戸 広報 ) 01/04/13 PM09 【印刷用へ
知人に勧められた本=清水博先生が1992に出された『生命と場所』(NTT出版)の序文に、とても共感したので、ご紹介させていただきます。
004Pより
>新しい時代はまだ完全にその姿をあらわしていないが、地球規模の大きな変革期の今ほど、変化をリードする哲学や思想が必要とされるときはないであろう。その哲学や思想が、生命、さらにいえば「生きているシステム」の深い把握を基盤にして成立するものであることには疑問の余地がない。考えてもみよう。われわれの生命ばかりでなく、そのなかでわれわれの生命を存続させている環境の生命が、かつてこのような危機に直面したことはなかった。この危機の深刻さは、たんに量的なものだけでなく、生命の多様性の消滅という不可逆な変化からきている。この危機はまちがいなく、われわれ人間の生きているシステムに関する根本的な誤解と、その上に立った欲望に発している。
>近代がデカルトの「われ惟う故にわれあり」から始まったとすれば、新しい時代は、けっして閉じたものではない人間の生命を深くとらえ、己の姿を再発見することから出発するであろう。

特に次からです
005Pより
>新しい時代の人間像は自他非分離な自己把握によるものでなければならないのだ。その意味では、われわれはまだ人間を発見していないが、同様にさまざまな組織、社会、国家、国際社会などの人間のシステムにも、自他非分離の形で生きていけるシステムに変貌させることを考えていかなければ、環境との調和はありえない。そのためにはまず生きているシステムの本質とは何かを知ることであろう。

さらに
312Pより
>精緻につくられ、理論として完結しているかのように見える近代科学の理論も、実際に適用してみようと思うとさまざまな穴があいているというのが、このごろの私の感慨である。ことに観察や問題の対象と、観察者や問題の回答者のあいだは、ほんとうは分けることができないのに、近代科学の理論では、これを分離可能なものとしてとりあつかっている。その影響を考えていくことが、近代の諸矛盾をのりこえる科学への入り口となる。

引用ばかり長くなって申し訳ありません。
こういう文章を読むと、既存の思想体系としての「科学」は一つのパラダイムに過ぎず、そのパラダイムはある意味「行き詰まっている」と多くの人々が感じている理由も分かる気がします。

既存のパラダイムにしがみつき権威を維持しようとする方々と、パラダイム転換の必要を強く感じる人々の認識の差を埋めるのは大変なことです。現在の科学にしても、旧い時代のパラダイムや現在の学界の権威に基づく認識バイアスがかかった結果存在しているものとして俯瞰する視点も重要でしょう。

旧い認識の殻を破り、より本質に近い認識を獲得していく。人間はそれを繰り返していくのでしょう。
 
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『生命と場所』より…生命観
遺伝子の共同体
「利己的な遺伝子」を切開する 1
「利己的な遺伝子」を切開する 2
現状の「科学的事実」と言われているものの怪しさ
現在の生物学には何が欠けているのか
怪しげな「検証」と、危なげな「定説」
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一面的な実験データやツールとしての定説に囚われていては事実を見誤る
事実追求のスタンス
専門家集団と事実
科学と社会
「科学的事実」というドグマ
近代科学と知の体系、再考
近代科学について
実証主義を超えて2
専門家集団の自己完結性にひきつけて2・・「丸山ワクチン問題」
原爆をつくった星少年たち 2・・「科学者独自の倫理」
科学者集団の特徴A
数量化できない自然
仏教の対象認識 【受想行織】
詭弁を説明しようとするから難解になってゆく
「日本人はいつ物を考え出すのか?」(2) 学習観念が役に立たないのはなぜか?
狂気の近代科学技術
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なんで、こんなことになってしまったのか?⇒科学者たちの信じられないアホさ加減
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『科学はどこで道を誤ったのか?』(1)プロローグ〜「科学技術は万能」という幻想を打ち砕いた福島原発災害〜
『科学はどこで道を誤ったのか?』(2)古代オリエントの時代〜全てが共認対象として一体であった精霊信仰から精神を上位とし物質を下位とする二元論へ
『科学はどこで道を誤ったのか?』(5)ルネサンス(14〜16c)〜自然魔術による自然支配観念の萌芽と、「科学」「技術」統合への流れ
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『科学はどこで道を誤ったのか?』(9)近代U〜国家体制に組み込まれ、専門化体制の中で無能化した学者〜
『科学はどこで道を誤ったのか?』(10)〜“科学技術の申し子”が起こした惨劇
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楢崎皐月氏のカタカムナ説(1) 宇宙から素粒子に至るまで、万象は共通構造(相似象)を示す

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