日本人の起源(縄文・弥生・大和)
315769 藤原鎌足が百済からやってきたという確証があるの?
 
匿名希望 16/05/29 AM02 【印刷用へ
藤原(中臣)鎌足は、百済の王義慈の王子「余豊璋」と考えられるが、藤原氏の出自が百済であることを「続日本紀」で示唆している、という記事を紹介します。

以下、リンクより引用
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藤原鎌足が百済からやってきたという確証があるの?

残念ながら、確証はありません。しかし、それに近い状況証拠のようなものならあります。
『続日本紀』の光仁天皇の天応元年(781)7月の項に、次のような記事があります。

「右京の人正六位上栗原勝子公言す。子等が先祖伊賀都臣(いかつのおみ)は、是中臣の遠祖、 天御中主命20世の孫,意美佐夜麻(おみさやま)の子なり。伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、 彼の土の女を娶りて,二男を生み、名づけて本大臣、小大臣といふ。はるかに本系を尋ねて聖朝に帰す。 時に美濃国不破郡栗原の地を賜ひて以て居らしむ。その後、居に因って、氏を命じて、遂に栗原勝の姓を負へり。 伏して乞らくは、中臣栗原連を蒙り賜はむと。是に於いて子公等男女十八人請に依って、改めて之を賜ふ」

ここに中臣栗原連の先祖として中臣伊賀都臣が顔を出します。そして、その人を説明して言います。 この伊賀都臣(いかつのおみ)は、中臣の遠祖にあたる天御中主命20世の孫,意美佐夜麻(おみさやま)の子であると。 要するに、神代の天御中主命を持ち出してきて、ここに、中臣氏が、古来から、日本に土着した氏族であることを 印象付けています。
しかし、すでに述べたように、古事記において、中臣氏が、いかに古い氏族であるか、しかも天皇家と並ぶほど古い 家系であるか、と言う事を、それとなく述べています。
でも、具体的にどのようなことをしたかと言うことは、書いてありません。 書きたくてもかけなかったと言うのが 真相でしょう。変なことを書くと嘘がばれますから。それでも、そこ、ここで、それとなく、小出しに、日本古来の氏族であることを 述べています。ほとんど、くどいくらいに繰り返されています。
20世と言うと、一世代が20年とすると400年、30年とすれば、600年です。 仮に私が、「400年前の私の祖先は加藤清正です」と言ったら、あなたは信じますか?多分怪しんでかかるでしょう。 しかし、誰が一体、確信を持って、私が、加藤清正の子孫ではないと言いきることができるでしょうか? 私の体の中には、400年という年月の間に加藤清正の子孫の血が、一滴か二敵ぐらいは混じっているかもしれません。
上の記述で延べていることは、言ってみれば、そのような程度のことです。それを、わざわざ、書いているわけです。

もちろん、それが、『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』の編集に携わってきた藤原氏の狙いです。「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。 我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、 もう誰も思うまい」 そういう作為が感じ取れます。

伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。その子供たちがやがて成長して、 日本にやってきた。その者たちがやがて中臣栗原連と名乗るようになったと。さらりと述べています。注意して読まないと、読み飛ばして しまいそうな箇所です。しかし、この意味は非常に重要だと私は思います。
なぜか?それは、編集に携わった藤原氏が、 彼らの祖先、藤原鎌足あるいは、彼の父、御食子(みけこ)が百済からやってきたということを、それとなく示唆しているからです。

中臣氏は古くからいた渡来人であったでしょう。しかし、藤原氏が中臣氏と同じように古い渡来人であったとは とても考えにくい。一番可能性があるのは、この当時、日本へ渡来して婚姻に因って、中臣氏の中へ入っていったということです。 それを、日本書紀では、あたかも、自分たちが中臣氏と同じ程度に古い氏族であるように書こうとしている意図が読み取れます。
しかし結局は藤原氏という形で中臣氏とは袖を分かちます。いったんは中臣氏の中に溶け込もうとしましたが、もともと、 仏教の影響を受けてきましたから、古来の中臣氏とは水が合いません。しかも、仏教を取り込まないことには政権を保てません。 そのことは、蘇我氏を見ていて、鎌足は十分知っていたはずです。

いろいろなことをでっち上げて、『教え』を書いたつもりでも、よく読めば、その中に、真実の破片が見えてきます。 『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』という書物は、もちろん、史実も書いてあります。しかし、藤原氏の都合のよいように、 かなりの事実がゆがめられて伝えられています。ここのところを注意して読む必要があるのではないかと思います。
 
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