国家の支配構造と私権原理
315766 新説「日本史」〜後半
 
田野健 HP ( 55 兵庫 設計業 ) 16/05/29 AM00 【印刷用へ
先の投稿の続きです。

■藤原(秦)時代 (645年〜900年) 250年間
645年大化の改新(一巳の変)で蘇我氏が暗殺されると藤原政権が始まる。
藤原は中臣氏が変名した氏族だが、この時代突然現れ、その出自も明らかになっていない。
歴史上では突然現れた藤原氏が大量渡来した百済人をバックに大和朝廷を乗っ取ったように取れるが、蘇我氏から藤原氏に切り替えることを画策したのも秦氏であった可能性が高い。秦氏は後に奈良時代には藤原氏と血縁の関係になり、藤原氏率いる天皇一派と接近する。
朝鮮半島は660年に百済が滅亡、大量の百済人が日本に流れる。藤原氏は百済出自でこの時代の百済人を組織化し、秦氏の支援をバックにそれまでの伽耶―高句麗勢力を組み入れた。鎌足は百済奪還を目指して朝廷軍を繰り出すが、白村江の戦いで失政。

鎌足の後に登場した藤原不比等は持統天皇を初代天皇として天皇制を立ち上げ、それまでの蘇我、葛城時代の日本の歴史を全て無き物とする為に嘘の歴史書、日本書紀、古事記を編纂する。自らは右大臣に就任し、以後の藤原氏の政治権力を万全のものとした。
藤原時代は藤原京、平城京、平安京とそれまでの既存勢力を排斥する目的で遷都を繰り返し、平安時代以後は百済一色の藤原支配が確立した。

668年に滅びた高句麗は、その一部が関東、東北に渡来。その後の武士に繋がる勢力を形成していく。高句麗勢力の国内の拡大に危機を持った朝廷は平安時代に入ると度々蝦夷討伐で兵を繰り出し、801年蝦夷征伐に成功する。しかし、東北に拠点を得たに過ぎず、完全に征伐されていない高句麗残党は100年間で力をつけ、武士団として再生する。

■武士時代(900年〜1860年) 960年間
荘園制度の転換に伴い、各地に治安不安が生じると部落ごとに自衛の必要が生じた。武力を持っていた坂東武士を中心に護衛の役として武士が誕生する。武士は専ら東日本に誕生し、後に西日本にも武士が登場するがそれは関東のそれを真似た物に過ぎなかった。
関東の武士団はたちまち力をつけ、横の連携を持つと朝廷に対抗する勢力に成長していく。その延長で誕生したのが源氏率いる鎌倉幕府である。以後、自治を旗印に武士中心の政権が継続する。

朝廷、天皇も制度として残されるが、その統治力も権力も無く江戸時代に入るとその存在意義すら失う目立たないものに成り下がった。武士が天皇を残したのは、いかにも縄文由来の日本人的発想で、天(自然)に抗えない、天を奉るという畏れ意識に起因した可能性が高い。事実最大権力者の信長ですら天皇をほぼ無視しているが滅ぼしてはいない。

武士時代は江戸時代も含めると900年以上続くが、その裏では秦氏率が支える藤原ー天皇が脈々と続いており、また同時期に秦氏は商業ネットワークと諜報ネットワークを全国網で形成することで武士を骨抜きにしていく。
武士支配の世界に反旗を翻したのが後醍醐天皇が引き起こした南北朝戦争だったが、天皇家は北朝を表、南朝を裏に建て江戸時代は潜伏した。

■藤原時代再来(1860年〜現在) 150年間
それまで長く続いた高句麗―武士時代が幕を閉じたのも秦氏の力による。
秦氏は神社、商業ネットワークをバックにそれまで潜伏していた裏天皇(南朝)を使い、明治以降の日本の政権交代劇を画策する。
当時、日本を取り巻く外圧は高まっており、徳川の鎖国政策では太刀打ちできない状況になっていた。金貸しロスチャイルドと手を組んだ秦氏はかねてから逆転を狙っていた百済系、南朝の力を持ち上げ政策能力の無い天皇を中心とした国づくりを始める。

秦氏が舵取りを誤り、日本にとって不幸にも最大の失敗は、この時代に立った田布施出身の百済系の連中が国家や国民の事をまったく考えない連中だった事だ。彼らは己たちの私財、権力の拡大のみにしか関心が無かった。
明治以降、市場時代が拡大するとそれまでの力の源泉であった商業ネットワークを持っている甘みは消滅し、同時に秦氏の力も失われていく。秦氏の舵取りを失った権力志向の藤原ー百済系は天皇の力を武器に戦争を繰り返し財力を蓄え、日本を廃土にしながらも自らの資産を増やしていく。
何百兆にもふくれ上がった天皇財閥はスイスに埋蔵されているらしい。

百済人の部落であった田布施からは明治天皇が替え玉で登場しただけでなく、伊藤博文から現在の安倍総理に至るまですき間無く日本を支配している。しかし最大の力の源泉はいまだ残り続ける根強い天皇制の力である。この天皇制の悪しき実態を世に表し、万人の審判を仰ぎ、本来の大衆自治に変えていかない限り日本の次の時代は無い。
 
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