推測動詞や意思動詞は、洞窟時代から在ったが、同類闘争の緊張圧力が高まるにつれて、否定動詞や断定動詞が登場し、さらに侵略戦争→権力支配の時代になると可能動詞や所属動詞、あるいは使役動詞や服役(受身)動詞が登場する。
アルタイ語族では、それらは全て動容詞の語尾変化によって使い分けられた。
「らしい」「ようだ」、「したい」「しよう」、「しない」「せぬ」、「です」「ます」、「させる」「させられる」
また、アルタイ語族(=ツングース族やチュルク族)は、セム族や印欧語族ほどの激しい皆殺しの侵略戦争に直面することなく、部族共同体が残存し続けたので、原初の語順がそのまま残存した。
他方、侵略戦争が常態化したイラン高原やコーカサスや地中海では、伝えるべき言葉の緊急性が一気に高まると共に、言葉の正確さが極めて重要になった。その結果、とりわけ侵略の張本人であるセム族では動容詞が文頭に来ることになったが、侵略された側のハム族や印欧語族においても、対象詞の次に動容詞が来ることになった。つまり、語順が大きく変化した訳である。
その後、書き言葉が定着すると、各語族の語順は変化し難くなり、現在までその語順を踏襲することになった。
セム語やハム語や印欧語では、動容詞が前にくるようになったが、これら侵略語の語順の大変化を先導したのは、特定の文意の優先動詞の多用である。
侵略社会は、能力や可能性を問う可能動詞や、所属や所有を問う所属動詞や、義務や必要を強調する義務動詞、あるいは使役・服役(受身)を示す使役動詞、更には否定や断定をはじめとする説得のための説得動詞が極めて重要になり、これら一群の優先動詞が動容詞の前に来るようになり、その結果、動容詞共々、文頭に(or主体句の次に)置かれるようになった。
(なお、これら優先動詞を言語学では「助」動詞と呼んでいるが、それも英語を訳の分からない物にしている大きな原因である。「助」と言えば、どうでも良い付け足しのように感じてしまうが、これら優先動詞は付け足しなどではなく、優先動詞こそが文意の中心であることを示し、だからこそ動容詞の前にくる最も重要な動詞である。)
セム語や印欧語族の言語は、動容詞が前にくるようになっただけではない。皆殺しの侵略戦争の結果、本源的な共同体は徹底的に破壊され、それまで集団を律していた不文律の規範も破壊されて終った。そこで、彼らは人工的な法文や契約によって社会を律してゆくことになった。
その結果出来上がったのが契約社会であるが、契約社会では常に主体とその対象を明示しなければ、個々の関係を律することも社会を律することもできない。そして、そのような言葉が書き言葉として定着してしまうと、主体や対象を省略しても意味が通じる場合でも、必ず主体と対象を明示することが普通になる。
それに対して、侵略を経験していない縄文人→日本人の場合は、語順が本源的なS・O・Vのままであるだけではなく、本源的な不文律の規範が濃厚に残存しているので基本的に共感社会であり、主体や対象を言葉にしなくても通じる場合が多い。この点も、日本人がそれらの言語を習得する上で、よく心得ておくべき重要なポイントである。
(但し、現代は侵略が常態化していた4000年前〜3000年前に比べると侵略圧力が大きく低下しているので、米語などでは、主体や対象を省略しても通じる場面が増えつつある。従って、将来、印欧語などの話し言葉は日本語に近くなってゆくのかも知れない。それはともかく、西欧文明の終焉が象徴しているように、侵略語が人類史的に見て時代遅れの言語になりつつあることは間違いないと言えるだろう。) |
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