もはや学校は終っている
314813 本田宗一郎が考える教育の本質をスピーチからみる
 
匿名希望 16/05/04 PM04 【印刷用へ
今、皆さんはお子様をお持ちで、みんな満足しておりますか? 学校の言ったことで。
今、世相の問題で一番問題になっているのが、教育なんですね。どういうわけでしょう。私は教育家でもなきゃ何でもない。だけど、私は私なりに国民のひとりとして思うことがある。というのは、今の学校というか、学校の親方の文部省でございます。文部省は本当に機能を発揮しているかしら?
こういう点も、私たちは金を出した以上ちゃんと監視する必要があるんじゃないかね。子どもができるとかできんとかっていうことは、どういうことでしょう。

100点取れば、お母さんは「ウチの子ども偉い!」と思ってるんですね。学校で先生もそう思ってます。あれは、100点取りゃあ偉いんじゃないんです。覚えているだけなんですよ!? 覚えているだけ! それをきちっと、お母様方覚えていてくださいよ。「覚えているだけだ」と思って。答案用紙が書けるだけだ。

しかしながら、ものをやるときには覚えていないとできないんです。そういう、前の段階であるわけなんです。ところが今は「覚えているだけでいいでしょう」。覚えているだけならコンピューターでも何でも全部覚えている。人間より絶対忘れない。
だからこの頃、コンピューターをどんどん使っているんですね。今子供さんだってみんなコンピューター使ってる。それですと、コンピューターテストをやらんだっていいんじゃないかという考え方にも、我々はなったりするんです。

明治初年において文部省ができ、そのときには向こう(海外)に人が行って、覚えてこっちに来た。そのときには覚えることが必要だったんです。寺子屋時代、「読み・書き・そろばん」と、この3つだけ寺子屋では教わっときゃいいんです。もっと大事なことは、人間的なもの。こういうことを寺子屋では(教えていて)、実際は4つですね。

一番大事なものは読み書きそろばんじゃなくて、人間的なもの、これが一番必要だったんです。ただ単に試験がないだけでね。これは人間として一番大事なことなの。人間を尊重する。これを間違えて、今では読み書きとか、覚えているということだけが一番偉く感じるようになってきちゃって、人間というものを忘れてやしませんか、と僕は言いたい。
明治初年に一高(旧制一高)、東大ができた。これは日本にとっては夜明けで、すばらしかったんです。その時代には何でも覚えなきゃいけないことがあった。理由があったんです。
なぜかといえば、知らなければアメリカに行くとか、欧州、先進国まで聞きに行くということだったらどうでしょう。幾月もかかってしまうんです。だから覚えたってことは、その時代ではすばらしい教育のひとつの方法であったんです。
ところが今は、飛行機だったら10時間で行ける。電話ならその場で、ウチで聞けるんですね、世界の情勢が。そういう時代になってから、覚えるということより実行のほうが大事になってこなければならん時代であるわけです。それが反対に、覚えることがますますもって良いことだと教えてるんですね。

(中略)

覚えるだけであるなら、コンピューターを動かすことだけ知ってれば、自分のところへ入ってくるんです。中には、画家で生計を立てようという人もあるでしょう。それから、体操で立てようという人もあるでしょう。たくさんの学問の中で、お互いに専門家になって身を立てようという人がいるわけです。
そういう、体操とか絵描きとか歌を歌うとか、いろんな専門家がいっぱいいるわけです。そういう専門家に、なんで数学が必要かね。絵を描くときにピタゴラスの定理とか、パラボラアンテナの原理くらい……そりゃあ絵にはなるかもしれんけんども、そんなものはたいした問題じゃないんです。精密な計算をしなきゃならんって問題じゃないのに。
実は、私は数学は自分では得意だと思っております。小学校でも得意だったんです。こないだまで本田技研におったときには、自分で設計し、その設計図面でもって私たちは納得してものを作っていったんです。かなり精密なことも、私は知っております。
しかしながら、その私が中学校の数学がわからんですよ、今。高等学校なんかとんでもないもんですよ。私は全然わからない。それでも生きているよ!
そりゃあ専門家になって教えようとか、専門にやろうという人は別問題ですよ。私だって数学は使うほうでいて、それでも生きてるんです。何も使わない人だってあるんですよ。金の出し入れ、これは要するに足し算、引き算ですね。これだけでも生きていれるんですね。
なんでそんなに、専門家の域に全部世の中をしなきゃ承知が悪いんだろう! そのために、生徒はものすごい負担を背負ってるということになる。そんなものやめちゃって、やりたいものを一途にやらせるほうが、より立派ですよ。
一芸に秀でるっていうこと、そういうことをやらずに「何でも覚えてりゃ良い子」っていうんじゃガッカリしちゃうな、こりゃあ。
覚えているということは、次の何かを表現する基本の問題なんです。その前の問題で良いか悪いか決めちゃあまずいなあ。僕なんか絶対に落第専門になっちゃうな。
 
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8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
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10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
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