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インパール作戦の真実 |
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「草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN」さんの記事を紹介します。
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大東亜戦争の末期、昭和19年3月から6月にかけて、日本陸軍はビルマ(現在名ミャンマー)からインド北東部の要衝、インパールを攻略しようとして作戦を発起し勇戦したが補給の不備で果たさず、空と地から英国軍の反攻を受けつつ退却した。
負傷し、飢えて衰弱した体でマラリアや赤痢に罹患し、退却途中で大半が力つきて、退路には延々と日本兵の腐乱死体や白骨が折り重なっていたことから、白骨街道と呼ばれた。
(中略)
この戦いは英軍15万と日本軍9万の大会戦である。有名なワーテルローの戦いはフランス軍12万、英蘭プロイセンの連合軍は14万だから、殆どそれに匹敵する歴史的規模の陸戦であった。にもかかわらず、英国はこのインパールの戦いの勝利を誇るということをしていない。
戦いの後、インドのデリーで、英国に胡麻すりのインド人が戦勝記念式典を企画したが、英国軍の上層部が差し止めたと伝えられる。何故か。
理由は判然としないが、以上の戦いの回顧をして、私は何となくわかる気がする。第一線で戦った英国軍は勝った気がしなかったのではないか。
自分たちは野戦食としては満点の食事を摂り、武器弾薬も豊富に持ち、次々と補給される。そして植民地インドを取られないために、つまり自国の利益のために戦っている。
それなのに日本兵は、ガリガリに痩せ、誰しも何処かに負傷し、そして弾の入っていない銃剣を握りしめて、殺しても殺しても向かってくる。それが何と、インドの独立のため、アジアの自立のためである。そんな戦いが60日以上も続いた。
ようやく日本軍の力が尽きた後に、何万もの日本兵の屍が残っていた。それを見たときに、英国人たちは、果たして正義がどちらにあるのか、自分たちがインドを治めていることに、正義があるのか、根底を揺さぶられる思いをしたのではないかと私は考える。
実際、インパールで日本軍と戦った後、インドに起きた独立運動に対する英国駐留軍の対応は、当時の帝国主義国家の植民地対応として、あまりにも手ぬるい。やる気が感じられない。
ガンジーたちの非暴力の行進に対して、殆ど発砲もしないで通している。以前の英国軍なら、デモ集団の真ん中に大砲を打ち込むくらいのことはした。
そして、戦後の東京裁判で、英国はインドがパル判事を送り、パルが日本擁護の判決付帯書を書くことについて容喙していない。そこに私はインパール作戦が世界史に及ぼした大きな、真に大きな意義を感じる。
(後略) |
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