アメリカ→官邸→マスコミによる支配
309206 日本の中のCIAエージェントその1
 
惻隠之心 ( 59 大阪 会社員 ) 15/11/08 PM04 【印刷用へ
日本の政界、財界、マスコミ、学者、評論家、右翼・暴力団などあらゆる分野に張り巡らされたCIAのスパイ・エージェントの数は一体どのくらいになるのであろうか

浮世風呂さんより引用です
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日本で活動する実行部隊(オペレーション担当)は工作員指揮官として、まず3人の現地工作員の指揮に当たる。そして、工作員はそれぞれ3人の配下(協力者)を抱え、3人の配下もさらに3人の部下を抱える。つまり、1人の指揮官が3×3×3=27人の工作要員を指揮して情報収集などに当たっている。CIAエージェントとされる中には、本人が意識せずにCIAに対して情報提供をする者も含まれる。

外交官や軍人に偽装するOCS(Official Covers)と民間人に偽装するNOCS(Non Official Covers)とに分かれ、それぞれ活動しているというが、最近はNOCSを増やしつつあると分析されている。その理由は、2001年9月11日、米国で起きた同時多発テロが関係する。

 要するに、通常総勢、数百人もの工作要員が活動しているというのである。スパイ防止法すらない日本はまさにスパイ天国というわけである。

★吉田茂

幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。

 天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。
 吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941年9月6日の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。

元自民党総裁=麻生太郎の祖父。

★辰巳栄一 (1895年1月19日ー1988年2月17日)

コードネーム「POLESTAR―5」

元陸軍中将
戦後の連合軍占領中は旧軍の反共主義工作機関「河辺機関」を率いた。警察予備隊の幹部人選に駐英武官当時からの上司であった吉田茂の腹心として関与。
内閣調査室や後の自衛隊の設置に関わる資料をアメリカ政府に流していた事が2009年10月、有馬哲夫・早稲田大学教授のアメリカ国立公文書記録管理局における機密解除資料調査で確認された。1975年1月から1978年12月まで偕行社会長を務めた。

★緒方竹虎 (1888年1月30日 - 1956年1月28日)

コードネーム「POCAPON(ポカポン)」

ジャーナリスト、政治家。朝日新聞社副社長・主筆、自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、副総理などを歴任。栄典は正三位勲一等旭日大綬章。三男の緒方四十郎は元日本銀行理事。

緒方は12月にA級戦犯容疑者指名、1946年8月に公職追放、1947年9月戦犯容疑解除、1951年8月に追放解除となっている。A級戦犯容疑者指名がなければ、敗戦で社内の緒方派と反緒方派の対立が再燃して自らも調停に乗り出し、村山長挙社長が辞任していた朝日新聞社の社長に就任するはずであった。

追放解除の翌年にあたる1952年10月、第25回衆議院議員総選挙で福岡1区(当時)から出馬し、中野正剛の地盤を引き継いだうえに地元財界の支持を得て当選する。

第4次吉田内閣で当選1回ながら、国務大臣兼内閣官房長官、さらに副総理に任命され、翌1953年5月成立の第5次吉田内閣でも副総理に就任した。

なお、緒方は政界復帰前の1952年4月、吉田茂、村井順とともに、アメリカのCIA、イギリスのMI5、MI6などを参考にして、内閣総理大臣官房に「調査室」という小さな情報機関を設立した。これが現在の内閣情報調査室の源流である。

緒方は、これとは別に強力な情報機関、いわゆる日本版CIAを新設する構想を持っており、吉田内閣入閣でこの構想は一挙に表舞台に登場したが、国会や外務省、世論の激しい批判を浴び、第5次吉田内閣の下で内調の拡充・強化を図るにとどまった。しかし、このときの緒方の動きを、アメリカCIAは高く評価した。

★岸信介 (1896年11月13日 - 1987年8月7日)

言わずもがなスパイ。岸の『系譜』の政治家は、CIAのスパイである。
政治的に岸は日本の歴代首相のだれよりも右寄りだった。岸は、APACL(アジア人民反共連盟)、MRA(道徳再武装運動)、統一教会など、右翼組織やCIAのフロント組織に深く関わっていた。

 首相をしりぞいた二年後の1962年9月には、東京で5日間にわたって開催されたAPACLの会合で基調演説を行なっている。また、日本郷友連盟や祖国防衛同士会など、民主主義の粉砕と天皇の政権復帰を擁護する極右団体の顧問もつとめた。
 岸は首相在任中に、日本を訪れたMRAの代表達に次のように挨拶している。「諸君は全世界に対して道徳的バックボーンを与えるようにしておられる。私はMRAが6週間にわたって(1960年5月から6月までの期間)我が国に与えた圧倒的な影響力に対して感謝の気持ちを表明したい」時あたかも、岸打倒を叫ぶ運動がピークに達しており、MRA代表団の訪日のタイミングのよさには目を見張るものがあった。

 岸は日本でもっとも反動的な首相だった。1957年から60年までの短い首相在任中に、岸内閣は史上まれに見る反進歩的な法案を提出した。一つは1958年、警察官の権限を拡大強化する警職法(警察官職務執行法)改正案であり、もう一つは1948年に廃止された紀元節の復活であった。統一教会といえば、CIAの命によりKCIA(韓国中央情報局)が組織し、操る宗教団体であることが後に明らかになった。岸と教会との密接な関係を示す一例として1974年5月、東京の帝国ホテルで開かれた『希望の日』実行委員会主宰の大晩餐会がある。『希望の日』とは、教会の世界的宣伝キャンペーンの一環の集会名だが、同実行委員長が岸信介だった。(『週刊新潮』1974年5月23日号より)>

続く
 
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