今一生のブログより『国家権力の暴走を止めるには…(リンク)』の記事を紹介します。
安保反対運動は、体制側の用意したシステム。だから、そこで戦っても実現しない。著者は、「政治力でしかできない」と思っていたことを、民間の国民がでやってしまうことという。確かに、その通りである。国家に頼って国家しかできないと思い込んでいる様々な事柄を民間で作ってしまえばいい。彼らの既得権益の範囲を狭めればいいと。しかし、何か一つ足りない。それは、新しい社会のビジョンであり、新しいグランドセオリーである。現実の中から社会を改革してゆくことには異議はないが、新しい社会のパラダイムがあれば、国家の暴走は止められるし、新しい社会を我々自身が作っていけると思う。
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■国家権力の暴走を止めるには…
戦争法案の可決で敗北感を味わってる人も、少なくないだろう。
しかし、このクーデターともいえる今回の事件の意味が、「国民が政治家に敗北した」ことだと理解しているなら、「さぁ、落選運動だ!」とか、「違憲訴訟だ!」なんてことは叫ばない。
確かに、落選運動は、政治家個人にとっては恐ろしいことだ。
もっとも、実際に自公の国会議員を次の選挙で落選させようとしたら、誰もが「勝算が見込める」と納得できるだけの具体的な戦略を多くの国民と分かち合う必要があるし、同時に選挙のプロを味方に入れない限り、勝ち目はない。
また、違憲訴訟についても、たとえ最高裁が違憲判決を出しても、自公政権がそのまま選挙で多数派を占め、内閣や政権が新たな法律を可決させてしまえば、イタチごっこであり、事実上、司法によって安保法制が覆る可能性は極めて低い。
では、国民は政治家の前に無力なのか?
多くの国民に民主主義や国民主権の意味が十分に理解されないままなら、答えは「YES」だ。
しかし、今回の敗北の意味を真摯に受け止め、「社会はそもそも民間と政治の両輪で作るもの」という認識を広く分かち合えるなら、答えは「NO」になる。
統治権力を手にした与党が一番恐れるものは、何か?
考えてみてほしい。
(もちろん、暴力・武力による革命ではないよ!)
--------------------------------2に続く |
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