否定脳(旧観念)からの脱却
308061 安保法案はなぜ可決されてしまったのか?〜改めて「民主主義は自我の暴走装置である」
 
蔦宇兵衛 ( 加賀 ) 15/09/28 AM02 【印刷用へ
安保法案がある意味予想通り多くの国民世論を押し切り強行採決により可決された。
あれほどの反対運動にも係らず、なぜ流れを変えることができなかったのか?
以下は「LITERA」( リンク )より

>安保法制は強行採決されるのか。緊迫の夜が続いている。16日横浜で行われた公聴会で公述人のひとり、水上貴央弁護士は安保法案には憲法9条に反する重大な欠陥があると指摘。こんな状態の法案を通してしまうことは「単なる多数決主義であって、民主主義ではない」と語った。
 
 この水上氏の「多数決主義は民主主義ではない」という言葉に、ネット上では批判の声が飛び交っている。「多数決は民主主義の基本じゃないの?」「多数決じゃなかったらどうやって決めるの?」「頭大丈夫?」「馬鹿じゃねえの!」……。

 多数決で決まったことにしたがうのが民主主義。実際、そう思い込んでいる人は多い。

 安倍首相も今国会中何度も「決めるときは、決める。これが民主主義のルール」「私たちは民意で選ばれた」と、強行採決ありきの発言を繰り返してきた。

 いま強行採決をなんとか止めようと徹底抗戦するデモや野党議員を、多数決という民主主義のルールを聞き入れない駄々っこかワガママかのように受け止めている人も少なくないかもしれない。

 しかし、多数決は本当に民主主義の原則にかなっているのだろうか。

(引用終わり)

国民に事実を全く伝えず騙しておいて「民主主義のルール」も「民意で選ばれた」もないとは思うが、そもそも「多数決」の前に「民主主義」というルール自体が、大衆を欺き自分達に都合の良い社会共認を形成するための金貸しによる壮大な“騙し”であることを見抜かなければならない。

以下、「民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である」(256228)より引用。


>人々が民主主義を肯定視する理由は、その「民が主」という主張が、いかにも共認原理に立脚しているもののように感じられるからである。私が全的に否定し切れなかった理由も、そこにある。
だが、「民主主義」は、本当に共認原理に立脚しているのだろうか?
それを、人類本来の共同体の共認原理と突き合わせてみることによって、明らかにしていこう。

 共同体では、まず第一に、自然の摂理に学び、部族の歴史に学び、先人の経験に学ぶことが、根本規範となっている。
 従って第二に、共同体では、成員の誰もが自分たちの置かれている状況と課題を熟知している。
 従ってまた第三に、何かを決めるのは、全員合意が原則であり、緊急時etcの長老一任も、この全員合意の延長上にある。

それに対して「民主主義」は、そもそも始めから共認原理を踏み外してしまっている。それは、成員の大多数が、ほとんど何も学ばず、何も知らないという点である。これでは共認原理はまともに作動しない。
 例えば法律については、それが日常のあらゆる生活を規制しているものであるにもかかわらず、(専門家以外)誰も知らないし、社会がおかれている状況についても、大半の成員がほとんど知らない。
とりわけ、市民運動を中心的に担ってきたのは若者であったが、学びの途上にあり殆ど何も知らない未熟者が、いったいどうして何かを主張し、評価を下すことが出来るのか、何かおかしいと感じないだろうか?


 【民主主義は、自我の暴走装置である】

 何も知らずとも、主張し判断できる主体は、一つしかない。それは、自我私権の主体である。自我私権の主体なら、ほとんど学ばず、ほとんど知らなくても、己に都合のいい理屈を並べたてることは出来る。子どもの言い訳や屁理屈と同じである。
また、民主主義は、自我私権に立脚しているので全員合意は望めない。だから、多数決で決着をつけるしかなくなるが、この多数決もまた、民主主義が自我私権に立脚したものであることの証拠である。

 事実、民主主義は、何よりも「発言権」や「評価権(議決権)」を優先させ、『まず学ぶ』という人類の根本規範を見事に捨象している。だから、「民主主義は正しい」と信じ込まされた人々は、『まず学ぶ』という根本規範を踏みにじり、身勝手な要求を掲げて恥じない人間と化す。

その先鋒となったのが、金貸しが生み出した共認支配の専門家たち=学者や評論家やジャーナリストである。彼らは現実と直対することから逃げて、もっぱら書物から学んで専門家となった連中である。逆に言えば、彼らは現実から何も学ばず、従って、現実を改善してゆけるような実現の論理を持ち合わせていないので、何事も批判し要求することしかできない。
だから、彼らは一様に、民主主義を根拠にして人々にも同じように批判し要求するようにそそのかしてきた。その結果が、自我ばかり肥大させ、何も実現できない(=批判と要求しかできない)無能化された人々である。

 要するに、金貸し勢は、「民主主義」を人々に吹き込むことによって、人々の自我をどんどん肥大化させると共に無能化した上で、自分たちの好きなように染脳してきたわけである。
こうして民主主義は、『学び』をないがしろにし、「発言権・議決権」を優先(=批判と要求を優先)させることによって、とことん自我を暴走させると共に、とことん人々を無能化させてきた。

かくして、民主主義に導かれて暴走してきた近代社会は、ついに経済破綻と地球破壊の底なし沼に沈み、そこから這い上がれなくなってしまった。いまや、人類は滅亡の一歩手前にある。
それは、民主主義が自我の暴走装置であり、とりわけ金貸しの暴走を正当化する自我=悪魔の思想であることの、疑問の余地のない証であり、もはや、この期におよんで民主主義を正当化する一切の言い訳は通用しない。

(引用終了)

こう考えると、今回、なぜ安保法案可決の流れを止められなかったか?が見えてくる。

そもそも金貸し支配の政府・マスコミによって事実を知らさせず、誤った情報で染脳され、しかし「発言権」や「評価権」だけは与えられることで自我が肥大化した大衆や学者達による単なる批判や要求では何も変えることができないのは明らか。

今我々大衆に必要なことは、金貸しによって隠された本当の人類史を(更には生命の進化史や自然の摂理を)『まず学ぶ』という人類の根本規範に立ち返ることではないだろうか。
 
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