藤原氏は、陰謀・テロによって政権を奪取、殺戮した王族の業績や正当性を隠蔽するために、それまでの日本の歴史を根こそぎ抹殺した。そして、日本において自らを正当化するために、古事記・日本書紀を捏造したのだ。
これが現代に至るまで、日本の歴史を捻じ曲げ、謎だらけにして混乱させている元凶であるが、現在の教科書や学者の言説を見ると彼らの狙い通りになっているように見える。
遅れて来た倭種、百済王族・藤原氏 リンク より
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明らかに蘇我蝦夷や入鹿は祟る鬼とされていたのだ。
ここで注目しなければならないのは、蘇我氏の祟りを恐れたということは、誰もが蘇我氏に対し、後ろめたい意識があったからということである。
(中略)
つまり『日本書紀』の証言とは裏腹に、歴史の正義は蘇我氏にあったと推定される。
このことは日本列島に新たに生じた、百済王族を中心とする独裁志向の勢力と、古来からの合議制維持を掲げる正統大和朝廷、つまり蘇我氏を中心とした葛城系(出雲系豪族)の勢力の対立の歴史を証明しているのである。 「漢人(カラヒト)にやられた」という正統・古人大皇子の叫びがそれを裏付ける。
加えて、645年のクーデター・大化の改新の折、『天皇記』と『国記』が焼失しているのである。これらは、大化の改心の折、蘇我氏によって火が架けられたと通説は説く。しかし、これらの史書は620年の蘇我氏の政権下に編纂されたものである。
蘇我氏政権下に編纂されたこれらの史書は、少なくとも蘇我氏にとって不利な内容であるはずがない。よって、自ら焼却してまで、残したくない史書であるはずがないのである。
クーデターの首謀者・藤原氏と中大兄皇子にとって都合が悪いモノであったと考えて始めて説明がつく事である。 中臣(藤原)鎌足と中大兄皇子にとって、『天皇記』と『国記』に記載された日本古代史を消さなければならなかった。
つまり、このクーデターに大儀や正当性がなかったということである。
そう捉えると、この事件前後の民衆の態度についても容易に理解できるのである。
加えて、これまで、皇族や豪族が私有していた領土・人民を国家が直接管理する方針を打ち出す。これを公地公民という。 古来より、ヤマトは、国家は皇国であり、国民は皇民であった。これに対し、民衆が不満を持ち反発したという記録は無い。皇国と皇民の関係は、支配者と被支配者という関係ではなく、御祖と御子の関係であったからと推定される。これが現在に続く、大王の血脈を祀る神道の氏神と氏子の関係にあたる。
大化改新によって、国家という名目の藤原政権が誕生したのである。
つまり、古来からの「皇地皇民(コウチコウミン)」、「神地神民(コウチコウミン)」が、「公地公民(コウチコウミン)という名の、「藤地藤民(トウチトウミン)」へと移行したということである。
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(引用以上) |
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