日本人の起源(縄文・弥生・大和)
307785 百済王族、藤原氏1 〜藤原氏とは何者か?〜
 
井上宏 ( 40代 新潟 建築コンサル ) 15/09/16 PM10 【印刷用へ
現在まで、日本を牛耳っていると見られる藤原氏、彼らはどこから来たのか?そしてどのようにして日本を支配したのか?

遅れて来た倭種、百済王族・藤原氏 リンク より
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 7世紀以来、千数百年にわたって日本の最高の名門貴族の座を手にした藤原氏とは何者なのだろう。藤原氏最大の謎は、日本で最も高貴な一族でありながら、未だにその出自がはっきりしていない、ということである。
 藤原氏は『日本書紀』神話の、天照大神が盤戸隠から出た時に、注連縄を引き渡して、磐戸を「封印した」、中臣・忌部神を祖とする。その子孫と言うことで、藤原氏の出自と正当性は、『日本書紀』神話・磐戸開きに求められる。

しかし、関裕二氏によると、疑問点として3点が挙がるという。
 第一に、中臣(藤原)鎌足の登場(645年頃)まで、中臣氏の活躍がほとんど見られないこと。
 第二に、その中臣(藤原)鎌足も、何の前触れも無く、唐突に歴史に登場する。しかも、正史・『記紀』にさえ、その父母の記載が確認できない。
 第三に、中臣(藤原)鎌足の末裔・藤原氏はどういう理由か、常陸国(茨城県)の鹿嶋からやってきたと捉えていたと推定できる。正史・『日本書紀』の中で証明された正当性を、自ら疑ってかっかたのかが、証明できないという。

さらに、藤原氏の祖・中臣氏は、神事に仕えた氏族というのが定説である。しかし、歴史上、確認できる藤原氏の行動は、神道よりも、仏教の布教に力を入れている。実際、藤原氏による、蘇我氏の滅亡を機に、古墳は姿を消す。そして、神道は影を潜め、仏教が華を咲かせるのでる。『記紀』によると、蘇我氏は仏教派だったのではないのか。

 実際に、天皇家が仏教を取り入れるようになったのはこの時期からである。事実、天智系天皇は天皇家の菩提寺に祀られるが、天武系の天皇は祀られていない。この件については後に詳しく触れる。
 神道は天皇家の祖先を祀る宗教だったはずである。藤原氏登場以降、神道ではなく、仏教で、天皇の先祖を祀るように変更したという事実である。つまり、藤原氏以降・天皇は事実上、神ではなく仏として祀られていたということである。
  これらの確認出来る事実だけを見ても、藤原氏の言動は不自然なモノである。

(中略)
その中臣(藤原)鎌足は大化の改新の折、唐突に歴史に登場する。
 『日本書紀』はいう。中臣(藤原)鎌足は、蘇我入鹿が君臣の秩序を乱し、国を傾けようとしていることを憎んでいた。この時、中臣鎌足は無位無冠の身であった。
そこで、皇族の中に入り込み、共に事を成す英傑を捜し求めていた。そして白羽の矢が立ったのが、中大兄皇子(後の天智天皇)であった。

(中略)
ちょうど同じ頃、百済王子・豊璋(ホウショウ)という人物が突如、日本古代史に登場する。
『日本書紀』によると、舒明3年(631年)3月、百済の義慈王の子・豊璋(ホウショウ)は人質として来日したのだという。
大化の改新・蘇我入鹿暗殺の14年前のことである。

大化の改新の記載が有る、『日本書記』皇極記には、中臣(藤原)鎌足とこの百済王子・豊璋(ホウショウ)、そして、上宮王家(山背皇子ら聖徳太子一族)の暗殺、大化の改新による蘇我一族の暗殺記事が会い混じって記載されている。

(中略)
済明6年(660年)9月、百済は使者をヤマトに遣わした。そして、この年の7月に新羅と唐の連合軍が百済を攻め滅ぼした事、君臣は皆捕虜となったが、鬼室福信が百済王家再興の為、奮戦しているということを知らせた。
そして、10月。その鬼室福信が、人質として来日していた豊璋(ホウショウ)を召還し、新たに王に立てたいと申し出た。加えてヤマトに救援を求めてきたのである。
これに応じ、翌年9月、中大兄皇子は織冠を豊璋(ホウショウ)に与え、本国に送り返したのである。
 人質であったはずの豊璋(ホウショウ)であるが、白村江の戦いの直前、百済に帰国し、国家の再興を目指す。

(中略)
そして、この人物が日本を離れたとき、実は中臣鎌足も忽然と歴史から姿を消しているのである。それも白村江の戦いという国家の一大事に中臣鎌足は行方不明になり、そして敗戦後、突然歴史に姿を現すのである。
衆知のように、中大兄皇子の側近中の側近であったと言う、中臣鎌足が、国家存亡の折、行方不明になったということ自体が理解できない。
 関裕二氏は著書・『日本古代史の謎』・『藤原氏の正体』で、百済皇子・豊璋(ホウショウ)という人物と、中臣鎌足、つまり藤原鎌足は同一人物であるという。

 確かに、そう考えると、中臣(藤原)鎌足の唐突な日本史への登場、百済救済の為の白村江への無謀な出兵、後述する壬申の乱での韓国軍の到来、さらに天皇家ご自身の神道・道教から、仏教への移行。それに伴う道教の象徴・古墳の消滅など、すべての謎が解けてくるのである
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(引用以上)
 
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前夜の意識状況1 答えがないので、課題捨象
前夜の意識状況2 課題を捨象して充足収束=充足基調
前夜の意識状況3 無用となった感応観念(価値観念や規範観念)
観念捨象の実践模索では足りない=観念を必要とする地平
構造認識の現況1 否定意識や自我観念から脱却できない近代人=現代人
構造認識の現況2 特権知識階級の商売道具と化した「構造認識」
構造認識の現況3 既成観念の全的否定
思考次元1 潜在思念の実践思考
思考次元2 否定意識の倒錯思考
思考次元3 本能⇒共認⇒観念の超越思考(構造認識)
全てのネックは「答えを出せない」という一点にある
現代意識潮流と戦略ターゲット
必要意識⇒課題意識には、不全発と可能性発の二通りある!
不全発の『変革の必要』から、実現発の『認識の必要』への大転換
観念パラダイムの逆転1 現実捨象の倒錯観念から、観念捨象の現実直視へ
観念パラダイムの逆転2 現実否定の倒錯思考
観念パラダイムの逆転3 現実とは、人々の意識である
観念パラダイムの逆転5 現実、その下部意識と上部意識
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