市場社会というと、金の多寡が評価軸のように感じてしまいますが、確かにその奥に金に変えられないものがあるようです。
物的な充足を人々が第一に求め、市場が活力を持っていた時代においてさえも、金を持っていることは羨望の眼差しによって見られることはあっても、実は本当の評価軸にはなっていなかったのではないでしょうか。
考えてみれば不思議な構造です。皆がそろって追い求めている物的充足の欠乏を満たす金を人一倍手に入れたとしても、表層的に評価されたように扱われこそすれ金を持っているだけでは、本当に人々から評価はされない。
それは決して持てない者の僻みなどではなく、確実に評価軸としてずれている、誰もが心の奥でそう感じ取っているからではないでしょうか。
社会や人々の生活上でいかに広く役に立てたか、その結果として金を得たとしても金そのものではなくその認識力が評価されている、そんな関係なのだと思います。
|
|