マスコミ支配の現代。自考力がなければ他の可能性は追求できない。
その意味で「自らモノを考える」能力は、必要不可欠なのだろうと思います。
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『データはウソをつく』 谷岡 一郎 書評
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マスコミのいうことに腹を立てたことはないだろうか。強制や命令の圧力を感じて不快に思ったことはないだろうか。データがなんだかヘンだと思ったことはないだろうか。
私はとくにマスコミの強制感や支配力に腹をたててきた。孤独なやつはかわいそうだとか、恋愛しない者は恥だとか、流行やブームに乗り遅れるやつはカッコわるいだとか、おまえは精神病質だとかいわれたり、常識や規範はこうだといわれて、マスコミの強大な強制力にずいぶんと腹を立ててきたものである。
でもたいがいの人はマスコミの強制力や空気とよばれるものの力によってなぎ倒されて、従わされることがほとんどだと思う。「新聞がいっていた、TVがいっていた、雑誌がいってた、だから(正しいから)従え」というようなことは一度は人にいわれたことがあると思う。そのような強制力をバカらしいと一蹴できるようになるためにはマスコミの利用するデータのウソっぱちをしっかり嗅ぎ分けられなければならない。
この本は「誰がなんと言おうと、自分で考え、疑い、そして他の可能性を求める人間になることで、その意味で、「他に可能性はないか」と考える人間になってもらいたいのです」ということだ。
>「世の中、半分以上のデータは単なるゴミだと考えるべきです。半分以上というのは好意に過ぎると思います(本当は七割〜八割だと思う)。」
(中略)
>「この「自分で考えること」はあえて強調しておきますが、リーダーになる必要条件です。これができない人間は使われる駒にはなれても、駒を動かす人間にはなれないのです。これは本当に本当です」
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(以後略,引用以上) |
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