個人主義<=>全体主義
利己主義<=>利他主義
の図式についていくつか疑問があります。
まず、上段の全体主義についてですが、個人の生き方のひとつのありかたとして用いている方が多いようですが、全体主義というのは社会統合上の概念です。
また、個人主義についても同様に社会統合上の意味で用いているのか、単なる個人の生き方の表明であるのか混乱しているように思います。
全体主義というのを具体的に言えば、大戦下の日本の軍国主義、イタリア・ドイツのファシズム、ロシア・中国共産主義、その他発展途上国に見られる軍事政権などを指すのが一般的です。もっと端的に言えば、後進国(資本主義的な意味での後発国)の戦時下の体制を言います。
この社会統合上の意味においては、個人主義も全体主義も、ともに近代的な個人という概念が法的基盤となり、民主主義が成立した後の国家体制の違いにすぎません。つまり、
強者=戦勝国=先進国(=英米)=民主主義が発達=個人主義
弱者=敗戦国=後進国=民主主義が未発達=全体主義
という図式になるのですが、重要なことは、実際にやっていることはほとんど変わらないということです。その証拠に英米でも国家規模の思想統制(アカ狩り)や外国人排除は行われてきました。
全体主義というと、前近代的でなんとなく悪いイメージがつきまといますが、社会統合上の意味においては個人主義も同じ穴のムジナなんです。
別の言い方をすれば、全体主義という言葉は、強者による弱者へのレッテル貼りに過ぎないというのが正しい認識だと思います。
この場合の強者・弱者というのは、侵略競争上の力、軍事力、資本競争力という意味です。
ですからこれとは別に、個人の生き方の議論をするならば、全体主義という言葉は不適切で、「集団」あるいは「共同体」という概念をつかうべきだと思います。それと個の関係を考えるということです。 |
|