日本でも、古くから浸透していた教えですが、儒教の教えに五常(仁・義・礼・智・信)というものがあります。
儒教では五常(仁、義、礼、智、信)の徳性を拡充することにより、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五倫の道をまっとうすることを説いています。
それぞれの意味を見ていきましょう。
以下山谷清文リンクより引用します。
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【仁】
仁とは、人間が守るべき理想の姿です。自分の生きている役割を理解し、自分を愛すること、そして身近な人間を愛し、ひいては広く人を愛することです。義・礼・智・信それぞれの徳を守り、真心と思いやりを持ち誠実に人と接するのが、仁を実践する生き方です。
「武士の情け」という言葉がありますが、これは、仁から生じているものです。単純に情け深いのではなく、自分には厳しく周囲には寛容に、かつ正義に基づいた慈愛を持って接することが大切とされていました。戦国武将・織田信長にはこの点が欠けており、敵ばかりでなく味方にも非情であった故に、天下統一はかないませんでした。
【義】
義とは、人の歩んでいく正しい道のことです。義をおろそかにすることは、道を踏み外すことになります。仁を実践する基本として、義を貫くことが必要です。本当に人を愛し思いやる生き方は、正義を貫いてこそ成り立つのです。
武士道では、義の精神が重く考えられていました。武田信玄と上杉謙信の「川中島の合戦」のとき、海のない山間部を領土とする武田方が、敵対する今川・北条側より商人の往来を制限され、塩の供給を絶たれました。これを聞いた上杉謙信は、塩を時刻から供給すると申し出ます。
「武士が雌雄を決するのは弓矢と刀である。敵であっても窮状では助けるのが武士であり、弱みにつけこむのは卑怯」と考えたからです。謙信は、義を貫いたのでした。
【礼】
人の世に秩序を与える礼儀礼節は、仁を実践する上で大切なことです。
親や目上の人に礼儀を尽くすこと、自分を謙遜し、相手に敬意を持って接することが礼、場合に応じて自分を律し、節度を持って行動することが節といえます。
礼節を尽くして人を訪ねるという意味の「三顧の礼」という故事があります。この言葉の元は、三国志でした。
劉備玄徳は、戦いで優位に立つために、優秀な軍師として諸葛亮孔明を迎えようと考え、彼の草庵を訪れます。しかし、一度目、二度目の訪問時は留守のため会うことができず、三度目、長いこと待った末にようやく会うことがかないました。その後諸葛亮は、自分が劉備のために奔走することになったのは、劉備が自分を目下とみなさず、礼を尽くして何度も訪ねてくれたからだと語ったそうです。
【智】
智とは、人や物事の善悪を正しく判断する知恵です。さまざまな経験を積むうちに培った知識はやがて変容をとげ、智となって正しい判断を支えます。より智を高めるには、偏りのない考え方や、物事との接し方に基づいた知識を蓄えることが必要です。
中国の儒学者洪応明(こうおうめい)は、「菜根譚(さいこんたん)」という書を残しました。儒教、道教、仏教の教えを踏まえ、処世の道、よりよく生きる知恵を書いた随想集です。「菜根譚」には、「あまり暇があると、つまらぬ雑念が生じる。あまり忙しすぎると、本来の自分を見失ってしまう」というように、偏った生き方を戒める言葉がいくつも書かれています。
儒教では「中庸」といって、よいバランスを保って生きることが大切とされており、これは、正しい判断力すなわち智を高めるにおいても同様といえるでしょう。
【信】
信とは、心と言葉、行いが一致し、嘘がないことで得られる信頼です。
嘘のために一度損なわれた信頼を、取り戻すのは難しいことです。たとえ、仁なる生き方を実践していても、人に信頼されないことには社会で生きていけません。信頼は、全ての徳を支えるほどに大切なのです。
二宮尊徳は、生活が苦しい藩士のために、「五常講」という金融の仕組みを作りました。仁・義・礼・智・信(五常)の徳を実践するものであれば、その心を担保にお金を借りられるというものです。
借りた者は、借りたときの感謝の気持ちを忘れずにきちんと返せば、五常の徳を実行したことになるというこの制度は、後の信用組合の原型となりました。 |
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