次代の活力源は?
291940 江戸時代は「老い」をどう捉え、どう対応していたか?
 
松下晃典 ( 34 広島 kozo大工 ) 14/07/02 AM00 【印刷用へ
これからの日本を考えていく上で、老人に何を期待していくかは重要な課題だと考えています。

歴史にヒントはないかと探していたところ、江戸時代も高齢化が進んでいたと知りました。江戸時代はどのように老いを考えていたのでしょうか?

お金学
お金と人生がテーマの書評『江戸時代の老いと看取り』柳谷慶子
リンク)より引用します。

----------------------以下引用----------------------

現代の日本は、90歳に到達する人が、女性では50%、男性でも20%という時代です。高齢化が急速化しています。

これに似た時代が江戸時代です。室町時代は、60歳まで生きる人が10%にすぎなかったのが、江戸時代に入り、急激に高齢化が進みます。

そのとき、江戸時代の人々は、老いをどう考え、老いの方策をどう行ったのか、興味のあるところです。本書は、それらを当時の文献を踏まえ、明らかにしようとするものです。それらの一部を紹介させていただきます。

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・幕臣の場合、病気隠居は40歳以上でなければ請願できず、老衰隠居は70歳以上になって初めて認められた

・隠居年齢を超えて、職にとどまった武士は、80歳をすぎるまで勤務を続けた例も珍しくない。江戸後期には、90歳を超える極老で現職に踏みとどまっている者も確認できる

・健康こそが武士の生き方であり、忠死をとげることよりも、死なないことのほうが、忠として質が高いと考えられていた。武芸に励むことも、健康を保つための手段の一つ

・江戸城では、70歳以上の者たちが、互いに助け合いながら、仕事の負担を軽くする習わしがあった

・江戸後期には、老衰で役勤めが実質的に困難な役人に対して、「乍勤(つとめながら)隠居」、すなわち、在役のままの隠居を許した

・幕末には、20年以上勤務した50歳以上の役人(布衣以上)には、年々金100両ずつを隠居料として給付することが示達された。この時代、一気に隠居年齢が50歳まで引き下げられ、これ以上の年齢の者は、現役をおろされた

・養生に対する関心の高さは、武士社会の一般的な風潮であり、隠居後に自らの経験をもとに、養生書を書き残した武士も少なくない

・隠居慣行のあった地域で家産に余裕のある家では、隠居夫婦が家産の中から隠居料を確保し、家督夫婦の家から独立した隠居屋で暮らした。隠居料は、土地として確保された他に、米や金銭、塩、味噌、薪などの現物給付の方法もとられた

・女性の旅は、19世紀に入って、飛躍的に増加し、60代での旅も少なくない。老いの身で、ようやく念願の旅をかなえた女性たちが記した旅日記(伊勢参詣・善光寺詣・西国巡礼・江戸見物など)が多く残されている

・高齢者の年寿に際して、杖(鳩杖、銀杖)を贈ることは、奈良時代の朝廷に始まった慣例。江戸後期になると、鳩杖の下賜は、大名と家臣だけでなく、領民にまで広げられた

・18世紀半ば以降、長命であることは、領主の称揚の対象となり、高齢まで働く庶民や武士が褒賞されるようになる。「養老式」「年長祝い」の名のもとに、領内の高齢者を一斉に城や役所に召喚し、藩主自ら酒食で饗応する催しが行われている

・孝行としての看取りは、常に親のそばにいることとともに、親の身体に触れることが大事な行為とされていた。なかでも、排泄の介助は重視される行為とされていた。子が親の排泄介助に携わった姿は、孝行褒賞の記録に多くとどめられている

・1786年に林子平が著わした「父兄訓」では、老親の食事について細かく言及している。歯が抜けたり弱って噛む力を欠いていることへの配慮や、壮健者と同じ調理をすることの戒めなどの老いを養う方法を指摘している

・武士が身内の病気や臨終に付き添うことができたのは、「看病断(ことわり)」の制度が設けられていたから

・財力のある上層の庶民や武家では、看取りを家族以外の者に委ねることもあった。雇用する下男・下女らに、常時の付添いや、食事、施薬、排泄の世話などが、仕事として任された

・養子は家を相続するための常套策であったが、それだけにとどまらず、独り身の高齢者が、新たな家族の中で、生存を保障される手段として推進された側面もある

・17世紀末から18世紀初頭の京都では、貧困や病気を苦にした下層民の老人の自殺があとを絶たなかった。大都市ばかりでなく、地方の城下町や宿場町でも、相互扶助の関係性は弱かった

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本書には、江戸時代の定年制度、隠居制度、年金制度、介護制度、長寿者褒賞制度などが、詳しく記されています。現代に通じることも多く、江戸時代にそれらの基ができていたことがわかります。

また、老後の楽しみであった旅行や、長生きするための健康法など、老人の嗜好は、今とまったく変わりません。

本書を読めば、高齢化で起こる現実を、再確認できるのではないでしょうか。

----------------------引用終了----------------------
 
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