日本人の起源(縄文・弥生・大和)
289817 3世紀列島と半島6〜尾を持つ人・国樔(くず)部=犬戎は尾張氏・葛城氏〜
 
七曜星 14/05/02 AM01 【印刷用へ
『三世紀・三国時代 江南出身の卑弥呼と高句麗から来た神武(著:小林惠子)』の「第一章 三世紀までの日本列島と朝鮮半島の」からお送りします。
「吉野の国樔部=尾張氏=葛城氏の一族は、遠く犬戒の槃瓠伝説を背負った氏族であった。」という。葛城氏・尾張氏は大陸の西方より列島に移り住んだ犬戎であるという。
-------------------------------5より
●尾を持つ人・国樔(くず)部は犬戎
 これら伝説は紀元前1000年頃から、北方遊牧民が四方に勢力をふるい、南方にも波状的に進出したきた歴史的事実を伝説の形で記したものだから、具体的に槃瓠と娘がどこにいたかを探すのはナンセンスである。しかし、北九州の狗奴国はその国名からして明らかに犬祖伝説を背負っていたと思われる。

「魏志倭人伝」によると、倭国には国の名に奴のつく国が奴国、狗奴国以外に、弥奴国(みぬこく)、姐奴国(そぬこく)、蘇奴国(そぬこく)、華奴蘇奴国(かぬそぬこく)、鬼奴国(きぬこく)、烏奴国(うぬこく)と六か国もある。この奴は私は匈奴の奴からきていると思う。奴のつく国はお互い民族的に近く、政治的にも連合していた様子がうかがえる。邪馬臺国に敵対していた狗奴国は、近畿から瀬戸内海にかけての奴のつく国と連合して邪馬臺国の九州勢力に敵対していたと想像される。

『書紀』には、神武天皇東遷の一行が、大和に入れず、迂回して熊野から奈良県宇陀郡に行き、それから吉野を巡った時、井戸の中から尾を持った光り輝く人間が現われ、国神の井光(いひか)と名乗ったとある。また、同じように尾を持った人が岩を押し分けて現われ、磐排別(いわおしわく)の子と名乗り、彼等は吉野の国樔部の始祖になったとある。不思議なことに彼等は神武に名乗りを挙げただけで、ナガスネヒコのように討伐されたり、服従儀礼を行った様子がない。それどころか、践祚大嘗祭の時、古風を奏したというから、神武の一行は彼等を先住の国神(くにつかみ)として尊重したようにみえる。尾のある国樔部とは、前に紹介した長沙武陵(ちょうさぶりょう)の蛮(ばん)の由来を語った槃瓠(ばんこ)伝説の、尾のある衣装を連想させるではないか。

 この国樔部とは、一体何者なのだろうか。尾を持つ吉野の国樔部は、その名から尾張氏と関係の深い氏族ではないかと思わせる。五代孝昭天皇の妃で六代孝安天皇の母親は、尾張氏から出たとある。尾張氏は早くから神武系の孝昭らも無視することのできない勢力をこの大和地方にはっていたようだ。大和地方には高尾張邑という場所がある。この場所は『記紀』によれば神武が東遷した時、土蜘蛛に葛の網をかぶせて一網打尽にしたところなので、葛城の邑と名付けられたという。高尾張から高をとると尾張になるし、葛城の葛は国樔部と同じクズと訓音する。このことから、神武が一網打尽にした土蜘蛛とは尾張氏であり、吉野の国樔部だったと想像される。つまり国樔部=尾張氏であり、その尾張氏の出身地を江戸時代の本居宣長(『古事記伝』巻二一之巻)は葛城地方と考えている。

 しかし私は尾張氏が葛城地方の出身というだけではなく、尾張氏=葛城氏だった可能性は大きいと思う。葛城氏の葛はカツと読むが、犬の槃瓠の瓠はカクで共通点があり、葛城氏は犬戎伝説においても尾張氏と一脈つながっているように思われる。また葛城氏と瓠、つまり、ひょうたんは深いつながりがある。

 結局、吉野の国樔部とは、神武系の大和勢力と婚姻関係を結んだ尾張氏であり、その尾張氏は大和に本拠を持つ葛城氏でもあったのである。そして、吉野の国樔部=尾張氏=葛城氏の一族は、遠く犬戒の槃瓠伝説を背負った氏族であった。

 葛城氏が神武東遷前の大和地方を本拠とする近畿地方を代表する豪族だったとするなら、1〜3世期にかけて西日本を中心に出土する銅鐸と何らかの関連があるはずである。それを証明する記述が『扶桑略記』(巻五)にみえる。

 天智7年(668)正月、近江の崇福寺を建立中、五尺五寸もの銅鐸が夜光を放つ白石と共に掘り出されたという。天智7年といえば天智が即位した年である。この記述は漢の武帝の時に、土中から銅の鼎(かなえ)が発見されるという奇瑞があったので元鼎と改元したという故事に習ったものだろう。天智は葛城皇子ともいった。このことは天智即位当時の人々が、葛城氏が大和地方最古の豪族であり、しかも銅鐸文化の主であることを知っていたことを物語っていよう。即位の時に銅鐸が発見されたというのは、葛城皇子とも称した天智天皇が、葛城氏の正統な後継者であることを内外に印象づけるためのセレモニーだったと思われる。つまり、わざわざ銅鐸を土中に埋めて、即位の時に掘り出して瑞祥として天下に公表したのだ。

 しかし、この事実は『書紀』にはみえない。天智と天武は非兄弟という私見(拙著『倭王たちの七世紀』)によれば、天智が正統な日本国王の血統なら天武天皇はそうではないことになる。だからこそ『書紀』の編纂者である天武の息子の舎人親王たちはこの事実を故意に記録しなかったのだろう。
-------------------------------7に続く
 
  List
  この記事は 288470 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_289817
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
290447 3世紀列島と半島7〜葛城氏=大物主〜 七曜星 14/05/20 PM11

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、46年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp