日本人と縄文体質
289458 折口信夫『日本藝能史六講』 「足拍子」の起源
 
阿部佳容子 ( 51 大阪 営業 ) 14/04/19 PM11 【印刷用へ
折口信夫は明治20年生まれ。民俗学者であり、国文学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもありました。何事も発生学風に追求していくことを旨とし、日本の芸能史についても発生の追求を基盤に据えて論考しています。

以下、【日本を知るための100冊】ブログより。折口信夫『日本藝能史六講』 〜鎮魂と快楽の足拍子について。リンク

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「足拍子」、つまり、役者・演者が舞ったり踊ったりしながら、音楽にあわせて舞台の上でドン!と足踏みをし、大きな音を鳴り響かせる「足拍子」は、能でも、狂言でも、歌舞伎でも、日本舞踊でも、ごく当たり前のようにあちこちで多用されているのです。でも西洋の踊りではあまり見たことがないし。・・・一体これは何なんだろう? 日本伝統芸能における独特の技法なのか? と、とても不思議に思っておりました。(足拍子のない伝統芸能もあります。念のため)。

そんな時ふと手に取ったのが、折口信夫の『日本藝能史六講』(講談社学術文庫)でした。1941年(昭和16年)、折口信夫が公開講座でおこなった、日本の芸能がどのように発生していったかについてのスリリングな講義録。

まず先に結論を言ってしまうと、この足を踏み鳴らすという動作は、実は、「鎮魂」の意味があったのだそうです。引用は、以下。

>(日本の芸能の)無意識の目的は大体考へることが出来る。つまり簡単に言へば、それは一種の鎮(しづ)め――鎮魂といふことに出発して来ているやうに思はれることであります。この鎮魂といふことは、外からよい魂を迎へて人間の身体中に鎮定させるといふのが最初の形だと思ひますが、同時に又魂が遊離すると、悪いものに触れるのでそこに病気などが起るといふことから、その悪いものを防がうとする形のものがあります。

>日本の芸能でこの傾向を持ってをらないものはないといふほどの、共通の事項を取出してみるといふことならば、先(まず)、第一に挙げなければならぬのは鎮魂と まう一つ同じに考へられ易い反閇(へんばい)といふことであります。

>この二つが一つになり二つになりして日本の芸能の凡(あら)ゆる部面に出てまいります。その中の一つ、或は二つが這入っておらぬ芸能は考へにくい位であります。

折口信夫によると、「鎮魂」には二つの形がある、と。一つは、「良いスピリットを呼んでこちらに定着させる」という形。もうひとつの鎮魂の形は、「悪いスピリットが出てこないように押さえつける」という形。

そこでググッとクローズアップされてくるのが、「大地を踏む」という動作なのです。

「良いスピリットを呼んでこちらに定着させる」という意味での「鎮魂=足踏み」は、『古事記』『日本書紀』の有名な「天岩戸伝説」がよい例として挙げられています。その後、さらに混じってきたのが、中国大陸からやってきたと思われる「反閇(へんばい)」という歩行法。平安〜鎌倉時代、呪術を行う陰陽師(おんみょうじ)は、呪文を唱えながら五方に向かって足踏みをし、悪い霊がやってこないよう足で踏み鎮めるということをやっていたそうで、これを「反閇(へんばい)」と言ったそうなのです。

>ともかく能を見ても、足拍子を踏む場合が度々ありますが、譬えば道成寺の中の乱拍子などは最も思ひ合せられませう。これは能ばかりではありません。日本の近代の舞踊をみましても、足拍子といふものからは離れられない位で、日本の藝能をよく観察しますならば、何処かで足拍子を踏まう踏まうとしていた昔の約束の伝承されているのが窺える筈であります。舞台へ出るといふことが、つまり力足を踏むといふ目的をもっていたのです。

>而もこれはただ舞台ばかりではなく、御殿に畳を敷いたり、或は地上に莚(むしろ)を敷いて其の上を踏むといふことがあります。つまりその敷物がその場所、或はその村全体と見立てられてをるのです。吾々はむしろ近世の芸能の上にどうしてこんなに反閇が印象深く残っているかと驚くばかりです。譬へて申しますと、歌舞伎役者にしても、一番先に役者の役者らしさを鑑定するのは、舞台で両足の指を逸らして居るか否かといふことです。足の指先の踏む用意をしてをる、といふことなのでせう。

「鎮魂」という初期の意味が忘れられた後にも、なお「足を踏み鳴らす」という動作がえんえんと引き継がれてきて、今に至る。「足を踏み鳴らす」という動作は、「鎮魂」である以前に、おそらく「快楽」だったのではないでしょうか。

さらに言うならば、この「足拍子」、実は、楽器としても工夫されてきたのですよ! たとえば、能においては、音響効果を考えて舞台は総ヒノキで作られ、床下には通常7〜10個ほどの甕を置いて、足拍子が美しく響くよう調節しています。また、歌舞伎舞踊や日本舞踊でも、舞台の上に「所作台(しょさだい)」というヒノキ製の置き舞台をさらに重ねて、足拍子がいい音で響くように工夫しているのです。

要するに、能でも歌舞伎でも日舞でも、その足拍子の音を聞く・感じるだけで、人間がとっても気持ちがよくなるよう、ちゃんと計算されているのです。これには逆らえません。足拍子は、鎮魂の動作としての聖なる意味をもつだけでなく、いい音を鳴らす楽器としても、リズムを刻む楽器としても、開発されてきた、というわけで。足踏みひとつで、なんと奥の深いことよ・・・。
 
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