歴史データ
288915 鎌倉時代の婚姻の検討〜武家の婚姻は同類闘争の外圧に規定される〜
 
匿名希望 14/04/03 AM01 【印刷用へ
引き続き鎌倉時代の婚姻を検討します。この時代の主役は天皇家その外戚などを中心する公家ではなく、その守護職であった武家です。

wikioedia武家
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「平安時代中期の貴族社会において、(略)武芸を職能とする下級貴族もまた、「兵の家」として武芸に特化した家柄を形成し、その中から軍事貴族という成立期武士の中核的な存在が登場していった。これらの家系・家柄を指して「武家」もしくは「武勇の家」・「武門」の呼称が生じたとされている。この呼称は、武力・武勇をもって朝家(天皇)に奉仕する家系という意味合いを含んでいた。」

武家を制度から見ると律令制の令外官(律令の令制に規定のない新設の官職;wikipedia)であるそうです。

Wikipedia近衛大将
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「日本の律令官制における官職の一つ。令外官で従三位相当。常設の武官職の最高位である。」

この近衛大将に藤原家、平家、源家もなってています。又武家といえば「幕府」ですが、この起源についても見ておきます。

wikioedia幕府
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「中国の戦国時代、王に代わって指揮を取る出先の将軍が張った陣地を「幕府」と呼んだことに由来する。

それが日本に来て、近衛大将の唐名となり、幕下あるいは「柳営」ともいった。その後、前右近衛大将源頼朝が征夷大将軍に任ぜられたことから、転じて征夷大将軍の別称ともなった。(略)戦時の司令部であった場所を平定後も政策発信地とし、実質的に武家政権の政庁となっていった。」

幕府政治は、天皇とその外戚による貴族の文官による政治が堕落化するのと同時に台頭した、武力を制覇力とする一団による政治です。朝廷に対して自ら幕府を置き、実際に政策を発布し所領を治める政治を行いました。

彼らの婚姻は家父長制の嫁取婚と一般には言われています。

日本結婚史 リンク
(以下引用)
4 鎌倉・室町時代
  上代以来の一夫多妻の慣習は中世でも行なわれた。鎌倉時代には三妻まで持つことが許されていた。(略)婚姻には、許婚(婚約)と嫁取りの2段の形式を踏んだ。公家の間では上代以来の婿取り婚が行なわれていたが、平安時代の半ば以来、武士の間で女が男の家に入る嫁迎え婚が行なわれるようになった。元来武士の生活は素朴・質素を信条として武士は同格の相手を求めるのであるが、結婚したからといって自分の土地を離れる訳にはいかないので、自然と女が男の家に入るようになった。しかし公家では伝統的に婿取り婚であるので、公家と武士の間での結婚では問題が生じたが、武家が力を占めるようになると、公武からなる嫁入りが行われるようになった。(引用終わり)

上記の引用では公家は婿取りと紹介されていますが、その中でも唯一、天皇家だけは嫁取でした。
天皇家と同じ事を同じ皇族を発祥とする武家が踏襲するのはさほど不自然なことではないでしょう。唯一異なることは、これまでは天皇自身が通う必要が無いという消極的な嫁取りであり、一般には普及しづらい贅沢なものでしたが、武家社会となり、集団による武力闘争が激化するに従い、妻子を敵方兵士から守る必要が生じていると考えられます。人質に取られたのでは戦いになりません。※上記の引用では、「自分の土地を離れる訳にいかない」としていますが、それだけでは不十分です。武力闘争の担い手である男の存在感が格段に高まったこの時代の特質があると思います。

※家父長制に関してこれまでの研究家は大した根拠もなく大化の辺りにその起源を置くようです。その一例をご紹介します。

女性研究第17集

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家父長制
仲川上 秀子

 父権の成立と女性の従属については,脇田晴子氏が(略),高群逸枝氏の女性史と井上清氏の「日本女性史」をあげて,両者を比較しながら,幾つかの問題をだしている。
 その第1点は,高群,井上両氏が父権の成立として家父長制家族の成立を論じていることである。まず井上氏に対しては,「大化前代の大和政権を家父長制家族の連合体として把え,(略)支配層と被支配層では,家族の成立の時期に差があることを指摘していることは重要である」と,評価している。高群説については,「支配・被支配層の差異を問題にせず,ただ妻訪婚などの事実を摘出され,母系氏族制社会の結論を導かれている点は不十分」と,批判している。(略)
 
 第2点としては,家父長権の成立が何によって決定されるのかについて,「婚姻形態と相続制からのみ決定される問題であろうか」と,疑問を投げかけていることである。高群氏の律令制貴族において,招婿婚と女子相続の存在を根幹とし社会的な女性の地位の高さを理由として,家父長制家族の成立を認めないことについては,「律令制国家権力は,家父長権にもとつく国家権力と考える方が自然であろう」と,述べている。 
 
第3点としては,高群説のように「妻訪婚・婿取婚」がそのまま,女性の地位の高さにつながるかという点についてである。これについては,「妻の父による『家父長制発現下の婚姻形態』とされているのに同感である」と,関口裕子氏の見解に,脇田氏は賛成している。(略)

 さいごに,高群説の女性財産権の存在の点についてである。そのことについて脇田氏は,(略)必ずしも女性が経営を掌握していたとはいえないとしている。(略)
 さきの論文のあとに,脇田氏は(略)被支配下の階層における『家』の成立も遅れざるを得ないとし,「基本的には,村落共同体が男性によって構成される中世初期に成立の画期をおきたい」としている。(略)庶民家族が何故,家父長的になるのか。井上氏は,政治的支配権力による押つけとしている。それについては(略)、脇田氏は「権力による押し付けということの具体的内容が明らかでない」と批判している。(略)
 女性史が女性の従属からの解放・男女平等の主張という視点で,それに役立つ歴史学を求めるのに性急さのあまり,高群のように,女性の地位を高くみようとしたことに疑問を投げかけているし,女性の地位さえ向上すればという形での戦争協力を,脇田氏は批判しているように思えた。(引用終わり)

上記の論文のように、良く分からない議論が延々と続いています。唯一嫁取の必然性たる外圧状況(同類闘争から親族を守る)に思いを馳せれば比較的穏健な平安時代よりその後の武士の時代にその出自を求めたほうがより自然と思われるのですが、如何でしょうか?
 
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290162 日本婚姻史 鎌倉・室町時代の嫁取婚の成立 匿名希望 14/05/13 AM01

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