西洋医療と東洋医療
288022 健康という幻想
 
匿名希望 ( 40代 ) 14/03/05 PM07 【印刷用へ
以下、『キチガイ医の素人的処方箋』リンク から転載します。

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なぜ人は健康を求めるのか、これにはキチガイ医に一つの提言がある。この世の医学者、治療家、セラピストをすべて敵に回す考え方である。それは健康でないことこそが人間として当然であるという考え方である。人間は常に不調を感じ、愚痴をこぼし、その不調と付き合いながら自然に生き死んでいくものではないのか?

代替療法者などの場合特に多いが、自然療法という名の不自然治療に準じていればとってもハッピー、体調が良いなどという人がいる。しかしそれは本当の意味で自然なのか私は大いに疑問である。自分自身で考えても私はいつも体の不調を感じている。と思ったらそれを忘れていて、また思い出したように不調を感じる。理想的な健康体などと言うものは、何処にも無い。現代の人々は健康じゃなくても生きてればいいやとはとても思えないのである。それ自体が洗脳されているということに気付かない。

健康であるということは、体の何らの症状がないことだと考えている人が多いようだ。しかし私に言わせればそれはおかしいと思う。その症状はあなたのセンサーそのものであり、生きている証明そのものである。その症状を愛さねばならない。それを治そうと思うからこそ医学の奴隷になる。医学でなくても何か治療しなくてはと思うことになる。とは言え結局私も治療しているのだが、これが原則であると私は現在思い至り、自分にも患者さんに適応している。健康ばかり追い求めるからこそ、色んな商法がうまれだまされたりも発生する。本来治療の目的は病院を卒業することにあり、その不調が自然であると悟ることにこそある。

ある村に薬剤師が来たら今までみんな健康だったのに、皆病気になってしまったという有名な逸話がある。それは薬剤を飲んでいなくても不健康になってしまったのである。何よりも不調であることは相談しなくてはいけない、相談したいという環境こそが、その村を不健康にしたということだ。結局病は気からみたいな話かもしれないが、やはりそれは真実である。

これは禁断症状に関しても同じことが言える。禁断症状があるから何もしないとか薬のせいにしているだけというのは、脳梗塞で手足が動かなくなったときにリハビリも何もしないということと同じである。その思想の根底には元気になったらとか好調になったらとかいうのが存在しているのである。そしてそういう思想である限り、禁断症状から逃れることはできない。苦しくても動くというのが基本中の基本なのである。

私は免疫学や栄養学やホメオパシーを批判していると述べてきた。ここはいつも表現が難しい。こう書けば普通の医学賛美者であるととらえる人も多いだろうが、私は全否定者であり全批判者であるといういい方が正しいのだと思う。加えていえば自分さえも否定し批判している。

ホメオパシーや免疫学や栄養学はごまかしが多い。かつプラセボ効果を最大限に生かして治療に応用することが多い。当然ながら人間にはプラセボが出やすい人と出にくい人がいる。これを念頭に置く事は重要であり、その点で代替療法の価値は認めうるものである。

さらに言えば当然プラセボレベルではない、しっかりとした治療効果が得られるものもあるだろう。しかしここで大きな問題は、ホメオパシーや免疫学を推奨するものが、単純な科学的データや疫学的なデータさえほとんど出さないという現象である。自分たちのデータを正直に出さずして、医学を批判しアンチテーゼ足る道理は存在しない。これを学問として大成させていきたいなら、ダブルブラインドでなくても良いから、一般人にとってもわかりやすい結果や資料を提示する必要があるのだ。

さて、では医学はどうか?ここまでを読むと医学のほうが上に感じてしまう人がいるかもしれない。しかしそれは大間違いなのである。医学の結果というのはほぼすべてがプラセボ以下、失敗続きの連続なのである。代替療法がプラセボと副作用発現のなさを利用し、50%の治癒効果が得られると仮定すれば、医学など医原病の塊であるから、10%とかそういうレベルでしか結果を残せていないのである。精神医学に至ってはほぼ0%である。だから代替療法のほうが医学より許容されうるのである。これを理解せずして代替療法の勧めもへったくれもない。代替療法は神の治療でも万能治療でも何でもない。そして医学はほとんどが無意味な殺人学なのである。

もちろんこれは高額な代替療法を肯定するものではない。そんな高額な代替療法を使用しなくても保険に近い範囲や、月に1〜2万くらいで個人の努力と掛け合わせて効果を発揮することはできるのである。タダでやれとかいうアホはこの際相手する価値もない。一般人の基本的な収入との比較で考えるべき問題である。予防的な意味や気に関係する部分でコストパフォーマンスに優れたものを有効活用する、代替療法の価値はそこにこそある。そして医学の価値は救急やアクテウィブな外科、内科、産科、小児科領域くらいにしか存在しない。医学にかかればかかるほど健康ではなくなっていくのである。
 
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303409 今日からやること 小平健介 15/04/26 PM03
288881 そもそも健康ってなんやねん 匿名希望 14/04/01 PM08

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