新しい男女関係(→婚姻制)の模索
287568 家族って何?シリーズ5 明治時代 〜洗脳と法制化によって民衆は「家」と「国」に嵌め込まれていった〜
 
ブログ 共同体社会と人類婚姻史 14/02/20 PM09 【印刷用へ
これからの家族を考えていくために、「家族」というものがどのように形成されてきたのかを調べています。
これまで見てきたように、江戸時代までは、血縁の父子相続を骨格とした家族を形成したのは武家だけで、民衆は村落共同体に帰属し(シリーズ3)、市場化の波が押し寄せてきても村落共同体を守って(シリーズ4)暮らしてきました。
しかし、明治以降、大きな変化が起こります。「国家」と「家」というものが始まったのです。 (ここでいう「家」というのは、現在の「家族」とはやや異なり、父親が絶対的な権限を持ち、それが長男に相続される形態です。)
私たちは「家」や「国家」というのは遥か昔からあったかのように思っていますが、実はそうではありません。 明治までは、「(県ぐらいの大きさの)国」を武家(藩)が治め、「村」を共同体が治めるのが基本的な骨格で、日本という単位の「国家」と民衆の「家」というのは、実は、明治時代の創作なのです。
今回は、この明治時代に創作された「家」と「国」に民衆がはめ込まれていく姿を見ていきます。 明治の「家」は、「旧民法(明治家族法)」によって相続と婚姻に関する絶対的な権限を有する「家長」を定められて確立するのですが、実は、この民法制定以前に、学校教育によって「父母への孝、国への忠」という、家と国への帰属を第一とする規範観念の刷り込み(=洗脳)が行われた背景があります。 当時は、学校教育の一部としての道徳教育ではなく、まさに学校教育の「要」として強力な刷り込み(=洗脳)が行われました。
そして、洗脳教育が完了した明治32年に民法(明治家族法)が制定されたという事です。 明治初年から始まった規範観念の刷り込み(⇒洗脳)教育から、「旧民法(明治家族法)」制定までの政策の流れは以下です。
1.明治12年 「教学聖旨」
2.明治15年「幼学綱要」
3.明治23年「教育勅語」
4.明治32年 「旧民法(明治家族法)」
 ... 続きはこちら
 
  List
  この記事は 286667 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_287568
  ※トラックバックは承認制となっています。

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

「合同板」必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28

『るいネット』は、46年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp