もはや学校は終っている
287066 堀場雅夫氏インタビュー:大学改革策を語る
 
阿部佳容子 ( 51 大阪 営業 ) 14/02/07 PM07 【印刷用へ
大学に対して産業界から人材育成、研究の両面で改革を求める声が高まっています。学生ベンチャーの草分けといえる堀場製作所の堀場雅夫最高顧問は、「教員、学生ともに従来の大学の権威に安住できない時代が来た」と指摘しています。

以下、日本経済新聞(‘12.7.26)「辛言直言」記事より

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―過去20年間、世界は大きく変化しましたが、大学についてはどうみていますか。
「政治、経済、教育のどれも21世紀は20世紀の延長線上にないことがはっきりしてきた。これまでの権威は完全に壊れ、本物だけが生き残る時代になった。大学はその典型だろう。有名な大学に入れば、一生を約束されたも同然だった時代は終わり、いい大学に入ったことは人生の成功において必要条件であってももはや十分条件ではない」

―日本の大学のどこが問題でしょうか。
「大学には一部にとんでもない教員がいる。何の実績を出さなくても職を失うことがなかったからだ。そうした教員を淘汰していくことがまず必要だ。その第一歩として大学教員に自己評価をさせてみればいい。自分の業績が同じ専門分野の世界の一流と比べて、どれくらいなのかを年1回、点数で示させる。自覚を促す効果があり、それを公表すれば過大な自己評価はできなくなる」

―大学教授には研究と教育のふたつの役割がありますが、両者はどうあるべきですか。
「一流の大学は一流の研究者、教育者の両方が必要だが、一人の人間がそれを両立させるのは難しい。私は京大で物理学を学んだが、その頃、後にノーベル賞を受賞する湯川秀樹教授も教えていた。湯川教授の授業は難しい話を黒板に書き並べるだけでちっともわからない。文句を言いに行くと、『わからないやつは聞かなくていい』という始末。あまりにひどいので、授業を学生全員でボイコットしたことがあった。それから多少改善したが、世界トップ級の研究者だからといって、優れた教育者にはなれないことを証明している。今は教授というひとつの名称しかないが、『教育教授』と『研究教授』に分けるべきだろう。湯川教授は教えるよりも研究に打ち込みたかったのだ」

―そうすると多くの人は「研究教授」になりたがりませんか。
「それこそ大学に残る権威主義だ。教養課程の教授より専門課程や大学院の教授の方が上、といった勘違いがある。学生に興味を持たせ、知的好奇心をかき立てる授業は人の人生を左右する重要なものだ。私が物理を学ぶきっかけは高校の先生の授業だった。今の日本では勉強は大学入試の道具でしかなく、真の知的好奇心を持っている学生は少ない。その意味では大学を活性化するには小学校、中学校、高校の先生の努力が必要だ」

―大学入試はどうすればいいですか。
「今の入試は根本的にだめだ。誰でも志望すれば無試験で好きな大学に入学させればいい。仮に東京大学に10万人が集中すれば、授業はインターネットで中継し、キャンパスには来なくていいことにすればいい。そのうえで、大学教育への適性をみて、3年になる段階で論文などで一気に厳しく絞り込めばいい。3年になる段階で、今の大学入試のように大学を選ばせれば本人の適性や能力にあった選択ができる」

―大学のキャンパスはどうあるべきですか。
「子供の数は減っているのに、今、全国の大学が学部、学科の増設を進めている。増設するしか学校としての発展がないからだ。その結果、新キャンパスがつくられ、ひとつにまとまっていたキャンパスが学部ごとに分散する。それでは『知の総合』たる『ユニバーシティー』の根幹が崩れてしまう。昔は物理専攻の学生が文学部のインド哲学の授業を聞きに行ったり、フランス文学の学生が経済の授業を聞いたりして知的な刺激を受けた。大学は総合性の意味を考え直す必要がある」

―大学はもっと実用的なことを教えるべきだとの意見もあります。
「原理的なことが自分たちの暮らしにどれほど役立っているかを知るべきだろう。たとえば、アインシュタインの相対性理論がなかったら、カーナビゲーションや携帯電話の全地球測位システム(GPS)は適切な補正ができず、狂ってしまう。原理を学ぶことこそ実用であり、大学の機能だ」

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2年前、87歳の言葉です。
 
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新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)
新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)
新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ
新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転
仲間圧力と認識仲間
新しい潮流は、新しい人間関係を必要としている
市場社会の、カタワの「集団」
本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ
古い人間関係は、影が薄くなるばかり
関係パラダイムの逆転1
関係パラダイムの逆転2
活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること
収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力
充足基調から探索基調への転換
'90年代の危機感と変革期待の行方
秩序収束と答え探索の綱引き
潮流2:戦後日本の意識潮流
潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる 
「日本人はいつ物を考え出すのか?」(1) 共認充足が最大の活力源。'10年代はそれだけで勝てる
市場時代の共認非充足の代償充足⇒解脱(芸能)埋没
'70年〜現代 収束不全⇒本能的な秩序収束⇒課題収束⇒認識収束
現代〜近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す
大学生が授業に出るのはなんで?
「やりがい」に潜む社会的欠乏
カリスマ 〜自分たちが共認できる価値観への評価収束〜 
仲間収束 2:一人でできない子
「働きたいから働こう」という意識
快美欠乏に替わって、認識の統合が最高価値になった。
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
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