大学に対して産業界から人材育成、研究の両面で改革を求める声が高まっています。学生ベンチャーの草分けといえる堀場製作所の堀場雅夫最高顧問は、「教員、学生ともに従来の大学の権威に安住できない時代が来た」と指摘しています。
以下、日本経済新聞(‘12.7.26)「辛言直言」記事より
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―過去20年間、世界は大きく変化しましたが、大学についてはどうみていますか。
「政治、経済、教育のどれも21世紀は20世紀の延長線上にないことがはっきりしてきた。これまでの権威は完全に壊れ、本物だけが生き残る時代になった。大学はその典型だろう。有名な大学に入れば、一生を約束されたも同然だった時代は終わり、いい大学に入ったことは人生の成功において必要条件であってももはや十分条件ではない」
―日本の大学のどこが問題でしょうか。
「大学には一部にとんでもない教員がいる。何の実績を出さなくても職を失うことがなかったからだ。そうした教員を淘汰していくことがまず必要だ。その第一歩として大学教員に自己評価をさせてみればいい。自分の業績が同じ専門分野の世界の一流と比べて、どれくらいなのかを年1回、点数で示させる。自覚を促す効果があり、それを公表すれば過大な自己評価はできなくなる」
―大学教授には研究と教育のふたつの役割がありますが、両者はどうあるべきですか。
「一流の大学は一流の研究者、教育者の両方が必要だが、一人の人間がそれを両立させるのは難しい。私は京大で物理学を学んだが、その頃、後にノーベル賞を受賞する湯川秀樹教授も教えていた。湯川教授の授業は難しい話を黒板に書き並べるだけでちっともわからない。文句を言いに行くと、『わからないやつは聞かなくていい』という始末。あまりにひどいので、授業を学生全員でボイコットしたことがあった。それから多少改善したが、世界トップ級の研究者だからといって、優れた教育者にはなれないことを証明している。今は教授というひとつの名称しかないが、『教育教授』と『研究教授』に分けるべきだろう。湯川教授は教えるよりも研究に打ち込みたかったのだ」
―そうすると多くの人は「研究教授」になりたがりませんか。
「それこそ大学に残る権威主義だ。教養課程の教授より専門課程や大学院の教授の方が上、といった勘違いがある。学生に興味を持たせ、知的好奇心をかき立てる授業は人の人生を左右する重要なものだ。私が物理を学ぶきっかけは高校の先生の授業だった。今の日本では勉強は大学入試の道具でしかなく、真の知的好奇心を持っている学生は少ない。その意味では大学を活性化するには小学校、中学校、高校の先生の努力が必要だ」
―大学入試はどうすればいいですか。
「今の入試は根本的にだめだ。誰でも志望すれば無試験で好きな大学に入学させればいい。仮に東京大学に10万人が集中すれば、授業はインターネットで中継し、キャンパスには来なくていいことにすればいい。そのうえで、大学教育への適性をみて、3年になる段階で論文などで一気に厳しく絞り込めばいい。3年になる段階で、今の大学入試のように大学を選ばせれば本人の適性や能力にあった選択ができる」
―大学のキャンパスはどうあるべきですか。
「子供の数は減っているのに、今、全国の大学が学部、学科の増設を進めている。増設するしか学校としての発展がないからだ。その結果、新キャンパスがつくられ、ひとつにまとまっていたキャンパスが学部ごとに分散する。それでは『知の総合』たる『ユニバーシティー』の根幹が崩れてしまう。昔は物理専攻の学生が文学部のインド哲学の授業を聞きに行ったり、フランス文学の学生が経済の授業を聞いたりして知的な刺激を受けた。大学は総合性の意味を考え直す必要がある」
―大学はもっと実用的なことを教えるべきだとの意見もあります。
「原理的なことが自分たちの暮らしにどれほど役立っているかを知るべきだろう。たとえば、アインシュタインの相対性理論がなかったら、カーナビゲーションや携帯電話の全地球測位システム(GPS)は適切な補正ができず、狂ってしまう。原理を学ぶことこそ実用であり、大学の機能だ」
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2年前、87歳の言葉です。 |
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