>共認機能が十全に作動しなければ、当然観念機能も働かないことを意味しています。つまり、私たちが言語に置き換えて観念的に頭の中で考えるという行為それ自体が、共認回路をすでに作動させている訳で…(略)
なるほどです。観念機能と共認機能のつながり、すごく納得しました。
話したり、文章を書くことで第3者に「自分の経験した出来事」を伝えようとするときは力が必要です。文章を書いたり言葉などで誰かに何かを伝えようとするのは、とても難しいです。「うまくいえてないな」と思うことがたくさんあります。
これって「観念機能を鍛える」練習だなあとおもいます。「わかってもらえなくてもいいや」で終わらせちゃうと、自分にしか伝わんない。広がらない。誰かに伝えよう、とか相手の意志を汲み取ろうとしたところで初めて「想い」の「観念化」を試みるもの。耳にするだけでは汲み取ることなどできない。
学生時代ひとり暮らしをしてて、あまり人と話さなかった時期がありました。その時「なんか退化してるような気がする」と強く思ったことを覚えてます。誰かと話したり、話を聞く事が少なくなることで、いろいろなところでバランスが崩れてるんじゃないか、そう思えた時期がありました。コミュニケーション・刺激・成長。そういうさまざまなものも含めてそうですが、こういった「観念の構造化」という部分でもそうだったんだろうな、と思います。
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