学校って、必要なの?
282241 市場原理がもたらす学校教育の弊害
 
K-brace 13/10/13 PM09 【印刷用へ
現代の学校教育の弊害が市場原理にあることが述べられており、問題点と今後の課題を整理している記事がありましたので紹介します。

内田樹の研究室「教育の危機と再生」(リンク)より引用します。

〜引用開始〜
■教育と市場原理
今日は、これからの教育についてお話をするわけですけれど、現況の分析と同時に、これから先、いったいわれわれは日本の教育をどうしていけばいいのか、その方向を見通すということになろうかと思います。愚痴を言ったり、批判をしたりという段階はもう終わって、次の具体的な提言をし、行動に移すべきときだろうと思います。 
日本の教育は今明らかに悪い方向に向かっています。この点に関してはどなたからも異論がない。不思議なことに。日本の教育はよくなっているという人は学校外にも学校内にも、どこにもいない。
問題は、現況がよろしくないので、改めなければならないということまでは合意しているけれど、どう変えるかについてはまったく合意がないことです。

そして、明らかに力を持っているのは、大阪の教育基本条例が代表するような、市場原理主義的な教育観です。
僕はこの「教育活動の数値的格付け」とそれに基づく「『アメとムチ』的資源分配」という教育観そのものが今日の教育の荒廃をもたらしたと思っております。十年前からそれを批判してきましたけれど、今教育改革という枠組みで語られる言葉は、驚くべきことに、まさに学校教育をこれほど荒廃させた当の教育観をさらに強化したものなのです。

学校教育への能力主義と差別的資源分配が失敗していることはすでに日本やアメリカの事例が明らかにしているのにもかかわらず、この「失敗している方法」をあたかも最新の教育の成功事例でもあるかのように押し戴いて、現場に持ちこもうとしている。いったい何を根拠にして、このような倒錯がまかり通っているのか、僕にはうまく理解できないのですが、この流れをまたメディアが持ち上げており、保護者たちも多くはその有効性を信じている。教育崩壊のアクセルをさらに踏み込むかたちで、今政治主導の教育崩壊が急速に進んでいます。それが僕たちの置かれた現状です。

市場原理主義的教育観というのは、要するに教育を全面的に市場原理に委ねれば、最高の成果が期待できるという考え方です。

学校は教育商品、教育サービスを売る売り手である。保護者や生徒は商品を買う消費者である。市場と同じく、消費者が選好する商品は生き残り、質の悪い商品は売れ残る。市場の淘汰にさらされることによって、教育現場には「いいもの」だけが残り、市場のニーズに応えられなかった学校や教員は市場から退場する。結果的に、もっとも良質な商品だけが適正価格で流通する。「マーケットの判断はつねに正しい」というのが市場原理主義者の言い分です。

学校教育がダメなのは、そこに競争原理、市場原理が働いていないからだという言い方がはやりだしたのは、この20年ぐらいです。
90年代から、すでに学校教育に競争原理や評価システムを導入して、限られた教育資源を「生産性の高い部門」に傾斜配分するという考え方が入り込んできました。

そういうビジネスもどきのシステムの大学への導入を積極的に推進してきた当の本人として申し上げることができますなど、こういうマネジメントは結局「下を見ている」だけなんです。どうやって下の方の5%ぐらいの人を見つけ出して、罰したり、排除したりするか、ということに集中してしまう。アクティヴィティの高い教員たちにどうやってさらに気分良く働いてもらって、全学的なパフォーマンスを高めるかという話では全然ないんです。
でも、学校教育を現に活発に牽引している人たちが求めているのは、フリーハンドと自由な時間だけなんです。彼らにそれを提供すれば、彼らがもたらすオーバーアチーブは、仕事をしない「下の方の5%」のもたらす損害とは比較にもならない。それを超えて余りある。

でも、今の教育現場でのマネジメントの議論の中で、どうやって現場のパフォーマンスを高めるかという話は誰もしない。しているのは、働きの悪いやつは誰か、業務命令をきかない教師は誰か、それにはどういう罰を与えればいいのか、それしか議論していない。

 〜中略〜

■学校教育における緊急の課題

だから、教師に必要なのは、ぎりぎり削ぎ落として言えば、「手立てを尽くすことのできる教育上のフリーハンド」と「教育成果をひたすら待つ余裕」、それだけなんです。教育方法の自由と、数値的評価の自制、それがいちばんたいせつなことなんです。学校教育における喫緊の課題はこの2点に尽くされると僕は思っています。

忍耐強く子どもたちの成長を見守っていけるだけの余裕があり、様々な教育方法を自由に試すことができる、創意工夫が許されていれば、子どもたちはいずれそのポテンシャルを開花させます。これは僕の経験的確信です。

だから、僕たちはそういう教育環境を確保するために全力を尽くさなければいけない。それを心ない人たちは「教員たちが楽をしたいからだ」というふうにあしざまに罵りますが、それはあまりに短見というものです。自己利益のことだけ考えている教師なんかまずいません。みんな、子どもたちを伸ばしたい、成長させたいと願っている。でも、そのために必要な教育環境が破壊され続けている。学校教育に政治イデオロギーが介入し、メディアが介入し、ビジネスが介入してきて、子どもたちを選別と収奪の対象としようとしている。そういう外部からの介入に対して、教える側の人間は、全力で学校と子どもたちを守らなければいけない。

〜引用終わり〜
 
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