歴史データ
272115 「皆の共認で運用する」 村落共同体の自治組織A 〜五人組
 
西谷文宏 ( 35 和歌山 建築設計 ) 13/01/11 AM01 【印刷用へ
続けて五人組について

以下、リンクより引用
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 五人組は幕府や藩が組織したものではなく、村が組織したものである。これは村といっても、いくつかの集落に村が分かれて存在することから、それぞれの集落の核になる名主(みょうしゅ)百姓を中心に村人が組みをつくり、村政を担ってきたことに由来している。そして五人組が年貢に関して連帯責任を持つのは、村の自治が年貢の村請けによって成り立っているからであって、領主との間で取り決めた年貢高を村として納めるのであるから、家に分配された年貢高を払いきれない家があれば、他の裕福な家が肩代わりして年貢を納めるのは、共同体としての村の役割であったからであり、五人組が村共同体の下部機構だったから五人組で連帯責任を負ったのである。また、村の家が没落して田畑を耕作できなくなることは、その分の年貢負担が他の者の肩にのしかかってくるのであるから、村として各家の存続に便宜を図り、没落した家の再興を図っていくのも、村共同体としての機能であった。そしてこれは犯罪の防止という治安機能についても同様である。

 村はそれ自身として治安の権限を有していた。これは村が幕府や藩の支配の下部機構であったからではなく、村が自立した「生活共同体」であったからだ。

 村には必ず村の掟が存在する。中世の村の掟との違いは、そこに領主が決めた掟の遵守と年貢の完済が挿入されたことだけで、あとは中世の村の掟と同様な内容である。では村の掟は何を定めていたのだろうか。多くの村の掟に登場する決まりの中には、田畑荒らしの禁止と罰則規定や山林や野荒らしの禁止と罰則規程、用水の利用規定と罰則があった。田畑は村人の生活資材の供給地であったからそれを荒らして自分だけの利益を得ることは当然禁止された。そして村が所有する山林は、村人が必要とする薪や炭を生産したり、家屋を建築するための用材の生産場であり、それは日用生活のためだけではなく、山で取れるものを商品として出荷し、村の運営費用を捻出するためのものでもあった。そして村有の野原は、農業にとって不可欠の刈敷きという肥料を得る場であり、牛馬の飼料を得る場であった。その山林や野原から自分の必要以上のものを切りだしたり刈り出したりして自分だけの利益を追求することは、他の村人の生活を圧迫するとともに村共同体の不利益を招く。さらに用水の使用も同様であろう。

 要するに村は、村共同体として村人の生活を支えているのだから、その秩序を破壊する個人的な利益をはかる行為は村として指弾されるわけだ。したがってその犯した犯罪が重い場合には、村での付き合いを当分の間制限したり、村から追放したりするという村八分の処置が取られたのである。しかしこれは、刑事罰というより経済的な制裁であった。

 こうして村は、村の秩序を維持するために自前の掟を持ち、自前の自衛のための治安組織を持っていた。幕府や藩は、村の自治機能を利用したに過ぎないのだ。

 また年貢も幕府や藩が一方的に押しつけたのではなく、村との契約でなりたっていた。そしてその年貢の実際の各家の負担は村組織が行い、独自に割り振り帳面を作って割り振り、そして村として年貢を領主のもとに納めたのである。

 五人組を含め、近世の村のありかたを従来は過酷な収奪を行う幕藩制国家の支配機構として認識してきた。だから五人組や村は、年貢をしっかりとるために百姓に連帯責任を負わせるものと認識されてきた。しかしこれは、太平洋戦争に向かう中で、近世の五人組を範として隣組が作られ、隣組を核とした村や町が戦争遂行に人々を動員し、同調しないものを非国民として摘発する過程で生まれたイメージであった。

 近世の村は百姓の自立的な生活共同体であり、政治組織であった。だからこそ村人は共同体の利益を守ることにおいて連帯責任を負い、互いに助け合うとともに、村の掟を破って共同体の利益を私的に侵害するものには、村八分という制裁を科していたのだ。
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以上、江戸時代村落共同体の自治組織について見てくると、「共同体」としての村を運営する為に、その構成員たる村人(百姓)が多くの工夫を行いながら自治組織を形成してきたことが解ります。
引用文中にもあるように、そのあり様は私達が思い込んできた(教育の中で思い込まされてきた)幕藩体制の支配機構とは全く違い、村の自主性と当事者意識に溢れるものとなっています。
これからの共同体社会を考える上で、これら村落共同体社会の組織のありようや仕組みには学ぶ点が多いと感じられます。
 
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