歴史データ
272114 「皆の共認で運用する」 村落共同体の自治組織@ 〜村三役
 
西谷文宏 ( 35 和歌山 建築設計 ) 13/01/11 AM01 【印刷用へ
>初期の村役人は、年貢の納入、逃亡した百姓の追跡・捕縛、新百姓の取り立てなどの責任を負わされていたが、本百姓を中心とした共同体が成立すると、それらは村の連帯責任とされ、「五人組」の組織が重要な機会をもたせられるようになった。(270541

「名主・組頭・百姓代」と言った村役人(村三役)や「五人組」などの組織は、幕藩体制の中で上位下達的に整備されたものと考えられがちですが、いずれも村落共同体の自治の中で生み出されてきた制度のようです。
また、名主・組頭・百姓代の”三役”はいずれも村の統合役であることは変わりませんが、それぞれの登場背景は異なり、文字通り村落共同体を「皆の共認で運用する」為に整備されてきたものと考えられます。

以下、リンクより引用
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また、このような村の自治を実際に担ったのが、村役人なのであるから、村役人をどう選ぶかもまた問題であった。教科書は村役人を「名主・組頭・百姓代」と並列的に記述しているが、それぞれの役割と出現の時期は異なるし、またそれらの選定方法も時代の移り変わりに伴って変化していた。

 名主(なぬし)は近世初期には、村で最も有力な名主(みょうしゅ)百姓が世襲した。中世以来の国人領主やその親族の系譜を引くものが、その地位に着いたのだ。そして近世初頭においては村を越えた惣名主という職が置かれ、これも中世の惣村の代表の系譜を引き、有力名主百姓が世襲した。しかし名主は幕府や藩との折衝に携わったし、村の治安維持の元締めでもあり、個々の百姓に対する年貢負担の分配の差配の元締めでもあった。これが一つの家に世襲されることは、権力との癒着に繋がる。

 そこで登場したのが組頭であった。
 これはその名が示すように、五人組の長であり、しばしば五人組を幾つか束ねた集落単位の組の長であり、中世以来の惣村の年寄り衆の系譜を引いていた。つまり組頭は村共同体の年寄りとして名主を補佐し村政を合議によって運営してきた者たちであったが、彼らを組頭として認定することで、村政を公的にも合議体制に移すこととなったのである。そしてこれに伴って名主は、組頭の中から選ばれるようになっていく。世襲制が崩れて行ったわけだ。18世紀も中頃のことである。

 また百姓代は、新田開発によって耕地が拡大し、名主百姓の下人や百姓の次三男が独立して、一人前に耕地を持って年貢を負担する百姓の数が増えるとともに生まれた村役人であった。本来この役職は、「惣百姓代」であり、名主百姓だけではなく小前百姓も含む百姓全体の利益を図るために設けられた役職であった。
 先に見たように、村政を執行する名主は世襲制から選挙制に移行したとはいえ、それは相変わらず名主百姓という有力な百姓に限られていた。つまりそれ以外の小前百姓と呼ばれた村人は、実際には村政に関ることができなかったのだ。百姓代は、このような小前百姓の利益を代表して、名主・組頭を監視する役目として置かれ、百姓全体の投票で選出された役職であり、17世紀後半には登場し、享保期の18世紀前半に定着した。

 こうして村政は次第に、百姓全体の意向を反映するものに変化し、村の決定機関である寄合における意思決定も「入れ札」という投票方式による多数決となっていった。従って近世後期になると、有力百姓の間で選挙または持ちまわりで選出されていた名主も、百姓全員の入れ札で選出されるようになっていく。いわば村の自治は拡大し続けたのである。

 近世の村は、幕府や藩という武士の生活共同体からは自立した、それ自身が政治的組織であり生活共同体であった。近世の村人は彼らの意思で掟を決め、彼ら自身で代表を選び、彼ら自身で村の治安を維持して、協力して暮らしていたのだ。いわば村は「自由な」(公権力の規制からは自由な)生活の場であったのだ。
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