歴史データ
272112 江戸時代における農村の自治は誰がどのように行っていたのか?
 
匿名希望 13/01/11 AM00 【印刷用へ
江戸時代における農村の自治は誰がどのように行っていたのか?調べてみました。

以下「新しい歴史教科書」ーその嘘の構造と歴史的位置ーリンクより引用します。

***以下引用****
村に住む人々は、いくつかの階層に分かれる。
 最上層は、領主層と呼ぶべきもので、上級領主の代官として村を管理する武士たちである。
 次の層が、名主とよばれる層である。 名主とは「名田」とよばれる12世紀以降に誕生した、同一の灌漑水系に属するなどの理由で便意的に統合されて名前をつけられた田畑を管理し、そこにおける年貢・公事の徴収を代行する下級の役人でもあった上級百姓である。
 この下の層が、凡下とよばれる一般の百姓で、ここまでが中世において「村人」として認定された層である。
 そしてこれらの階層の下に、村に住む事を許された住民がいる。その一つが「下人」であり、彼らは武士や名主に隷属し、彼らの田畑を耕作したり、下人としてその様々な用事に従事する隷属民であった。
 またこの下人の下には、隷属民ではないが、人として認定されていない被差別の民が、村には多数居住していた。彼らは、「非人」と呼ばれ、乞食や流れ巫女、流れ山伏、流れ僧侶、そして様々な芸人など村の祭礼に際して様々な儀礼を奉じる人々であった。

@村における武士の位置
 これらの階層の中で武士は領主層に属するので「村人」ではなかったが、名主の中には領主である武士の一族・分家も多数おり、武士は「自治の村」にも深く関わっていた。つまり「自治の村」の様々な要求を上級の領主に取り次いで場合によっては村の側に肩入れしたり、逆に領主の要求を村に伝達し、その執行を強制したりしたのである。この武士と「自治の村」との関係は、武士の力の大きさによって様々であり、領主として動いたものもいたし、名目的な領主となっていたものもいたし、「自治の村」の代表の一人となっていたものもいた。

A「自治の村」の主役:名主層
「自治の村」の主役は名主層である。
 惣意思の最高決定機関は「村人」全員(正しくは村の家々の代表各1人からなる)による「寄合」であったが、その寄合の決定に基づいて日常的に村務を執行するのは、村の鎮守である社や寺の「宮座」を構成する名主たちであった。彼らの多くは村が出来た時から居住する村の有力者とその一族であり、村の鎮守の社の氏子や寺の檀那衆として、村を代表してさまざまな業務に従事していた。それは村の祭礼の執行であったり、領主とのさまざまな交渉事や他の村との交渉、そして村の財産の管理や村としての警察・裁判権の執行などであった。

 かれら名主層は苗字をもって帯刀し、村が武力を行使しなければならないときには鎧甲に身を固めて馬に乗り、同じく武装した下人や凡下の百姓を従えて「出陣」したのである。なお彼らのことを「地侍」とも呼び、彼らは村においては「殿原衆」とか「侍衆」と呼ばれていたが、戦国時代になるまでは、彼らの多くは武士の家臣団には組み込まれてはいなかった。
 彼らは古代末期以来の下級の役人として蓄えた知識や経験をもとにして、村の対外的交渉事を主導して、村の指導者としての地位を維持していたのであるが、「宮座」の一員としてその決議には縛られ、「村人」としては「寄合」の決議に縛られており、村人の指導者として村の利益のために行動することが求められていた。

B村の危機の時の犠牲としての被差別民
 村に住む住民のうちの最下層の「非人」の役割は何であったのか。彼らは村が危機に陥ったときの村の犠牲としての役割を課せられ、その役割を果たす事を見返りとして、村に養われていたのであった。
 彼らが村の犠牲になるのは、村と村との争いによって村から死罪に処せられるものを出さねばならなくなった場合には、村の責任者の名主の代理として彼らが差し出され死罪に処せられていたのである。後に戦国時代になって、大名から危険な軍役をかけられたときなどには、非人を代役として出していくようにもなる。
 彼ら非人は「聖なる存在」と捉えられていた。彼らは神に通じる人として見られていた。したがって彼らを犠牲として村の安泰を図るということは、裁判の場である寺社の神・仏に対して犠牲をささげ、村の罪を清めるという意味があったのではないかと推測されている。
***以上引用終り***
 
  List
  この記事は 270543 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_272112
  ※トラックバックは承認制となっています。

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp