農業
271625 百姓の変遷
 
佐藤晴彦 ( 54 長野 会社員 ) 12/12/26 PM07 【印刷用へ
一口に百姓といっても、昔はその定義は時代によって結構変わっていたようです。かつ職業も農業従事者のことのみを百姓と呼んだわけではなく、多様な職業についていたようです。

以下、Wikipedhia(リンク)より要約して引用します。

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日本においては当初は中国と同じ天下万民を指す語であった。しかし、古代末期以降、多様な生業に従事する特定の身分の呼称となり、具体的には支配者層が在地社会において直接把握の対象とした社会階層が百姓とされた。
この階層は現実には農業経営に従事する者のみならず、商業や手工業、漁業などの経営者も包括していた。だが、中世以降次第に百姓の本分を農とすべきとする、実態とは必ずしも符合しない農本主義的理念が浸透・普及し、明治時代以降は、一般的に農民の事を指すと理解されるようになった。

●律令国家
古代においては律令制のもとで戸籍に「良」と分類された有姓階層全体、すなわち貴族、官人、公民、雑色人が百姓であり、天皇、及び「賎」とされた無姓の奴婢などの賎民、及び化外の民とされた蝦夷などを除外した概念であった。
つまり律令国家においては戸籍に登録された全公民が国家に直接把握の対象となりそれがすなわち百姓であった

●前期王朝国家
王朝国家においては戸籍に登録された公民単位に徴税を行うのではなく、筆頭国司たる受領が富豪層を把握して彼らから徴税を行うようになった。新たに富豪に割り当てられ再編成された公田を名田と呼び、請作登録者を負名(ふみょう)と呼び、負名として編成された富豪を田堵(たと)と呼んだ。こうして形成された田堵負名層(=納税義務を負っているもの)がこの時代以降の百姓身分を形成した。
かれらは移動居住の自由を有する自由民であった。彼らの下に編成された非自由民に下人、従者、所従らがいた。田堵負名層の中から、実務官人として武士が誕生した。

●後期王朝国家
臨時課税を目的に非公認の荘園への課税を可能にするため、荘園の公認化と領域を統合する一円化が行われた。(荘園公領制)
百姓、すなわち田堵負名層は公領に属する者と荘園に属する者に分かれる。
徴税、警察、裁判責任者として、荘官の他に郡司、郷司、保司が置かれ、荘園公領間の闘争の結果、武士が古来の郡司に代わり在地領主として国内百姓の支配を行う形が確立する。

●中世
鎌倉幕府が開かれると、幕府は鎌倉殿に臣従した武士である御家人をこれまでの郡司、郷司、荘官に代えて地頭に任命した。彼らは御家人としては鎌倉殿に奉仕し、地頭としては従来の郡司、郷司、荘官の任を引き継いで、徴税、警察、裁判の責任者として国衙と荘園領主に奉仕した。この体制下で荘園と公領の軍事衝突は収束を迎えた。荘園と公領は前代に引き続き名田に分割編成され、百姓はこの名田の名主に補任(ぶにん)されて年貢(ねんぐ)、公事(くじ)、夫役(ぶやく)の納入責任を負った。名主百姓はさらに小百姓、小作人、間人(もうと)といった領内下層民に対する支配権である名主職を有し、これを世襲した。

●近世
江戸時代には、(1)田畑と(2)家屋敷地を所持し(検地帳名請人)、(3)年貢と(4)諸役の両方を負担する者を百姓(本百姓・役家)とした(「初期本百姓」)。なお、百姓は戦時においては小荷駄などを運搬する(5)陣夫役を負担する者とされた。しかし、初期・前期の村落内では前代を引き継ぐ階層差が大きく、(1)(2)(3)(4)(5)のどれかを欠く家(小百姓あるいは多様な隷属民)も多数存在していた。役家制の地域では、賦役を負担する量や種類によって、本役・半役・四(小)半役・水役などに分かれている場合もある。

江戸時代中後期の社会変動によって、百姓内部での貧富の差が拡大していくようになる(「農民層分解」)。高持から転落した百姓は水呑百姓や借家などと呼ぶようになった。その一方で富を蓄積した百姓は、村方地主から豪農に成長していった。また、村役人を勤める百姓を大前百姓、そのような役職に就かない百姓を小前百姓と呼ぶようになった。

●多様な生業
実際の村落には多様な生業を持つ者が住んでいた。百姓=農民というイメージは江戸時代から続く古い俗説であるが、実際には現代の「兼業農家」よりも広い生業を含んでいる。
・諸職人
 大工・鍛冶は、職人身分に属する者が営む場合、水呑・借家あるいは百姓が営む場合、があった。
 木挽・屋根屋・左官・髪結い・畳屋は、水呑・借家あるいは百姓が営んだ。
・宗教者
 神職:江戸時代においては、吉田家と白川家(伯家)が本所として全国の神社・神職を配下にしようと争奪しあう状況にあった。しかし、幕末に至っても両家による全国編成は完了せず、百姓身分のまま神職を勤める「百姓神主」がかなりの割合で存在していた。神職身分を獲得したい百姓神主と百姓身分に留めたい村落側との意向が異なる場合があり、百姓神主と村落とが裁判を繰り返すこともあった。その一方で、本所の配下になることを忌避する百姓神主も存在した。
 僧侶:すべて僧侶身分である。
 修験
・雑芸民
・医者:水呑・借家あるいは百姓が営むことが多かった。しかし、領主との関係、あるいは出自などの由緒によって「浪人」として扱われる場合もあった。
・商人:水呑・借家あるいは百姓が営んだ。江戸時代には商人身分は存在せず、士農工商の「商」は町人を指した。
・漁民:水呑・借家あるいは百姓が営んだ。江戸時代には「漁民」身分は成立しなかった。

以上のように、村落にはさまざまな生業で生計を立てている者たちが存在していた。彼らがどの身分集団に属するのかは、身分集団を編成する本所の動向、身分集団自体の成熟度に左右されることがわかる。その生業の種類とともに、時期と地域による差も大きかったのである。
(以上引用終わり)
 
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