農業
270541 農民の生活(1)
 
佐藤晴彦 ( 54 長野 会社員 ) 12/11/14 AM00 【印刷用へ
江戸時代の地方の農民の暮らし、共同体としての組織形態等が良くわかる情報が、長崎県の旧江迎町のHPにありましたので紹介します。

農民の生活〜長崎県江迎町HPよりリンク

■農民の生活
 農民は、支配者に強制されなくても、衣食住を節約して、身を粉にして働いた。着物は、庄屋などの村役人は絹、紬を許されたが、一般農民はすべて模様なしの黒か紺の木綿と麻に限られて、袖桁(そでたけ)の長さも制限された。
 髪を結うのにも、元結は使えず藁で結び、髪油をつけることなど以ての外であった。
 住居も、一般農家は堀立てが普通で、畳も敷かず、むしろ藁を敷いて寝起きするところが多かった。
 食物も地主や村役人は米を食べることがあっても、中農以下は、麦や粟、稗にいろいろな干葉や大根を刻んで入れ、いわゆる雑炊(ぞうすい)、お粥飯が常食であった。旱魃の年などは、想像もつかないようなもので空腹を満たす工夫をしたし、水を飲んでがまんしたといわれる。「水呑百姓」ということばはそれを表している。
 魚類も山間の農村では盆か正月、農繁期の栄養補給のために食べる程度で、砂糖などは、城下町の武士の家庭でも珍重されたほどである。
 慶安の御触書がしめしたように、徹底した労働を行わせるために、一年間の休日を公に定め、たばこを吸うのを一日に4回と制限された地方もあった。肥後熊本藩では、正月中の田地の一番打ち起こしに、未明に太鼓を鳴らして農民を起こし、起きないものがあれば村役人が注意を与え、打ち起こしがおくれて二月に持ち越されると厳しい答めを受け、三月末には郡代が村々を検分して、働きぶりの悪いものは捕らえて投獄したということである。
 
■村の支配組織
 支配者は、これらの厳しい封建的諸制限のほかに、村の共同体的な結びつきも、徒党を組むような反権力的な要素を骨抜きにして、年貢の徴収組織に利用しようとした。
 名主(庄屋)、組頭(年寄)、百姓代の村方三役制の整備が、そのあらわれである。初期の村役人は、前時代の名主や浪人が居ついたものが多く、領主はかれらを或る程度優遇しながら、その農民の統率カを利用して、村を支配し、年貢を確保することにした。やがて、関東では「名主」、関西では「庄屋」の村役人の首席が、組頭、百姓代などを従えて、村政を支配するようになった。また、彼らは土地の所有、山林、用水の利用などに優越した力をもっていた。村の利害はそのまま彼らの利害でもあったから、初期の百姓一揆は、村役人が村人を代表して、領主に直訴するかたちが多かった。
 藩政の確立を目指して、諸藩の統一的な農村支配機構が整えられていくと、これらの旧身分層を利用して、個々の村役人の上に、いくつかの村を統合し、その長である「大庄屋」、「大肝煎(きもいり)」などをおいて、それを藩の代官や郡奉行に直属させて村を支配した。
 しかし、小農が独立して次第に発言権をもつようになると、彼等を代表する百姓代は村役人が勝手な振る舞いをしないように監視した。いくつかの村を併せたところでは、村内の単位である組を支配する組頭や年寄の勢力が強く、庄屋、名主の権限がおさえられ、そのような村では、入会地(いりあいち)や用水を共同に利用する権利も、従前通り組に帰属していることが多かった。
 初期の村役人は、年貢の納入、逃亡した百姓の追跡・捕縛、新百姓の取り立てなどの責任を負わされていたが、本百姓を中心とした共同体が成立すると、それらは村の連帯責任とされ、「五人組」の組織が重要な機会をもたせられるようになった。
 「五人組」は、唐の「五保制」の模倣で、大化の改新後の五保の制からきたもので、原則として農家五軒を一組とし、各々の組頭を置き「五人組帳」を作った。
 五人組前書には、守るべき事項が記載され、名前が記入される。毎年一定の時期に集まり、前書きの内容を確認した。構成は本百姓だけであった。
 五人組の要旨は、宗教(キリスト教)関係、人口移動、土地竝びに作物、用水、年貢、犯罪、共同作業、相互扶助、人物問題などで、幕藩体制の末端の行政機構としての最小単位であった。
 
■農民の階層
 比較的に均等化された、小規模経営の本百姓を主体とする村が、全国にわたって、江戸中期に成立した。本百姓といっても、その間にはいくつかの階層があり、本百姓以外の農民にも無高の水呑百姓から、身分的にも経済的にも従属している、名子、社官などの隷農にいたるまで、その名称が雑多である。そのほかに、稼多(えた)、非人(人間外)として、一般から隔絶した「部落生活」を強いられたものもいたのである。それは現在の農村からみれば、驚くはど複雑なものであった。
 しかし、領主からみれば、村の身分構成は関係なく、年貢と課役の負担者であればよかったのである。
(続く)
 
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