類グループは、その最先端にいる。類は、私権から共認への大転換が始まった’70年の2年後、早くも’72年に「自分たちの生きる場を自分たちの手で築いてゆきたい」と志した6人の若者によって、共同体として設立された。
だが、深層で大転換が起こっているとはいえ、現実はまだ市場社会の真っ只中である。そこに共同体を建設しようとすれば、当然、大きな壁が立ちはだかる。そこで、新しい可能性を実現するためには、その壁=現実社会の構造を解明するだけでは不充分で、さらにその壁となっている構造をより根底から解体してゆけるような(可能性の)実現基盤が発掘されなければならない。私権社会を廃棄して共認社会を実現するという壮大な課題においても同様で、何れもその為には、人類社会のみならず、サル社会から生物史にまで遡った徹底した事実の追求が必要になる。
市場社会の常識を破った共同体・類グループを生み出せたのも、様々な壁にぶつかりながらもあきらめず共同体を進化させてこれたのも、「私権から共認へ」という確かな時代認識があったからであり、その認識に裏付けられた実現の確信があったからである。おそらく、今、人々が求めている自給能力期待という最先端の欠乏も、突き詰めればそのような事実認識⇒認識力を身に着けたいという所に行き着く筈である。
●共同体の統合軸は、事実の共認
類は、これまでの40年に亙る事実追求の成果として、既に多くの歴史認識=事実認識群を構築してきた。現在も、それらの事実認識を習得し、認識力を育成するために、毎週1回以上の密度で認識勉強会が開催されている。(7〜8人ずつの小グループに分かれて行われる。)
また、未解明の最先端の問題は、月1回開催される劇場会議で追求され続けてゆく。もちろん、全社員が参加する劇場会議では、理論問題だけではなく、経営上・営業上の大きな戦略問題も追求され、決定されてゆく。
それらの会議の、従ってまた共同体の統合軸となっているのが、事実の共認である。何故なら、事実は誰もが認めることのできるものだからである。その際、たとえ仮説であっても、皆の知っている限りの知識に照らし合わせて論理が整合していれば、それを事実として認める。もちろん、これまで認めてきた「事実」に反する現象が出てくれば、直ちにその現象事実を組み込んで論理=事実認識を組み替える。この様にして、事実の認識体系は無限に進化してゆくことになる。
そして、それと共に、事実の共認によって統合されている共同体も、無限に進化してゆく。 |
|