現在の金融システムは金貸し(国際金融資本家)に都合のいいようにつくられてきた。これが現実世界を動かしている力の構造。しかし、そうした金貸し支配の構造も限界を露呈している。このまま金融システムの崩壊とともに社会の秩序は破壊されていくのか、それとも新しい経済システムを構築できるのか、ここから先が分水嶺。
※参考:金貸しが支配する世界経済の行方 リンク
■お金のからくり:「中央銀行制度」「信用創造=貸付膨張」
経済、金融システムにおいて、金貸し支配の中枢は「お金のしくみ」そのものにある。
1.中央銀行制度
国に借金をさせて紙幣を発行する中央銀行は国家機関ではなく民間企業。中央銀行の起源はイングランド銀行(1694年)だが、その出自は、金貸し業者が手を組んで、戦争で多額の費用を必要とする国家に金を貸し、紙幣発行権を握ったところにある。紙幣を刷って国家に貸付けるだけで金貸しは濡れ手に粟の莫大な利息を手に入れてきた。国家の借金が増えるほど金貸しが儲かるという打ち出の小槌。そして、金貸しにそそのかされて国家は借金を積み重ね、今や世界中のどの国も限界に達している。現在の国債危機の源流は中央銀行制度そのものであると言える。
2.信用創造=貸付膨張
民間銀行が誰かにお金を貸し付けるによって、お金の量を勝手に増やしている。信用創造の起源は、上述の金貸し業者で、金(Gold)の預かり証を実際の金(Gold)の量以上に水増しして発行して貸し付け、お金として流通させたことがはじまり。膨張させた貸し付けから利子を得て莫大な資産を築き、中央銀行制度(紙幣発行権)を手に入れた。現在の民間銀行がやっていることもこれと同じだが、奇妙なことで、自分が持っていない金を貸すことで利益を得るというからくりで、要するにイカサマである。普通の人や会社がこれをやればもちろん犯罪(詐欺)。
さらにこの信用創造=貸付膨張のイカサマを発展させたものがレバレッジや金融工学で、これらもお金をつくる仕組みのひとつであり、バクチ経済の元凶でもある。
※参考:おカネのウソ リンク リンク
要するに、金貸し支配の中枢にある「お金のしくみ」そのものがダマシであり、不公正そのものである。
加えて大衆は、誰もがお金に興味関心がありながら、お金の仕組みを殆ど知らない。お金の仕組みは難しいものではなく、その歴史を辿ればすぐに理解できるが、教育ではそれを絶対に教えない、マスコミも決して伝えない、そうした共認支配が金貸し支配を支えているということ。
■「お金の仕組み」をどう変えるか?
金融システムの根底にあるのはダマシの構造。金貸し支配の構造を打破し、共認の時代においては「誰もが共認できる金融システム」への転換、秩序化が必要。
1.中央銀行制度の廃止→国家紙幣の発行
国家紙幣発行の方法としては、国債の代わりに財政投入する、国家紙幣で国債を買い取るなどが考えられるが、おそらく、金貸しとその手先がそう簡単に認めるはずもなく、国債暴落→経済破局を先に迎える可能性もある。その場合、現紙幣の暴落→リセットして新紙幣の発行という手順になり、金貸し勢力と国家紙幣による経済運営を掲げる新勢力との闘いになるだろう。
国家紙幣を発行する場合、課題となるのはマネーの量をどのようにコントロールするかという点だが、社会共認に基づく公正な(仮称)通貨委員会のような組織が必要となる。重要なことはマネーの量を実体経済(生産・消費)にリンクさせ、節度あるシステムとすること。
※参考:国債暴落後の世界経済はどうなる? リンク
※参考:経済破局の下で秩序は維持できるのか? リンク
※参考:国家紙幣によるゼロ成長の経済運営 リンク
2.信用創造=貸付膨張の廃止→100%マネー
お金のシステムを実体経済にリンクさせるためには信用創造=貸付膨張の廃止が必要。信用創造擁護派の反論として、マネーサプライの増加が経済を成長させるという理屈がある(これこそが金貸しのダマシの理屈)。経済成長=市場拡大のスピードを上げるのは事実だが、「経済成長=市場拡大絶対」という前提はもはや無効、存在意義は全くなくなる。むしろリーマンショック以降の金融危機は、膨張したマネーの崩壊が実体経済と人々の生活を破壊するという、信用創造の反作用。こうした不合理を改めるためにも重要な政策である。
※参考:「100%マネー」カジノ経済を封じ込める処方箋 リンク
※参考:民間銀行から「信用創造・破壊権」を取り上げ中央銀行を国有化すればすべては解決する! リンク
3.投機目的の金融取引の規制
野放図な投機=バクチ経済をどうするかという問題。現在では、為替取引の99%は貿易などの実需の伴わない純粋なバクチ」株取引も企業の資金調達に活用される取引は1%程度、99%は純粋なバクチ。これらを規制するには、法律で規制する方法もあるが、「金融取引税(トービン税など)」も有効だと思われる。
※参考:円の売買に課税を リンク
※参考:一般取引税で社会が変わる!? リンク
4.究極的には、利子の廃止
何にでも堂々と利子(しかも複利)がつけられるようになったのは歴史的にはわりと最近のこと。かつての人々は利子が生み出す不労所得、弱者いじめは不道徳であるという感覚を共通に持っていた(旧約聖書でさえ、利子は貧者と同胞に対しては禁じられていた)。現代では何にでも利子がつくのは当たり前、大衆もそれを求めるが、これも金貸し支配、共認支配そのものだと思う。
また利子は誰かの負債からつくりだされるわけで、必然的に市場拡大を要求する。これもバクチ経済を促す大きな要因。
こうした利子システムを廃棄すれば、金貸し支配は完全に消滅する。問題はそれで社会的な金融システムが成立するかどうかだが、必要なところにお金を融通するという意味での金融機能は維持可能だと思われる。
※参考:なぜ、預金には利子がつくのか? リンク
※参考:利子とは“市場の強制拡大装置”である リンク |
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